むろくんの奇妙な過去編 小学1,2年編
小学校に通ったことのない人間は恐らくいないと思う。途中で不登校になったり、というパターンはあるだろうが、一度も小学校に行ったことのない人間など存在するはずがない。もし、ここにいると名乗りを挙げる者がいるのであれば、お前は人間じゃない!
だから、日本人の殆ど全員は、小学校というものがどういうものかを知っている。
俺は、皆の小学校時代の話を聞きたい。通っていたのはどういう小学校で、そこではどんな風に生活をしていて、どんな先生がいて、どんな事件があって、どんな友達がいて…。
小学生時代というのは、恐らく人生の中でも一、二位を争うレベルで色濃く記憶や魂に刻まれているだろう。
それは、6年というあまりにも長い期間を過ごすからという理由もあるが、やはりアイデンティティを形成する上で最も影響力の強い期間であるから、というのが最大の理由と言えるだろう。
小学生時代に経験した出来事や出会った人間、受けた仕打ちは、特に色濃く思い出やトラウマや教訓として刻まれる。
俺も例外ではない。
小学校で過ごした6年間は、間違いなく俺の中で最も重要な期間だった。無論、これから先の人生でそれを凌ぐ瞬間が訪れる可能性を捨てたわけではない。だが、小学校で過ごした6年間に代わる期間という意味で言うと、恐らくこれから先経験することはないだろう。
今日はそんな小学生時代の6年間のうち、小学校1,2年生の頃の俺について、ほんの少しだけ語ろうと思う。ほんの少しというのは、実際1,2年の頃などあんまり覚えていないからだ。それに、俺の小学生時代は3年から始まったと言っても過言ではないため、正直小学校1,2年時代はそれほど重要な位置にはない。
だがまあ、記事の一本になるくらいの経験はしている。例によって思いつきで書くので、どのくらいの文量になるかは俺でも分からない。
ちなみに過去に幼稚園編も書いているので、興味があったら目を通してもらいたい。
小学校と幼稚園は、似ているようでまるで違う。幼稚園は基本的に、昼過ぎになれば母親が迎えに来るし、右も左も分からないクソガキもクソガキだったので、幼稚園にいる時間を、そもそも「少し不思議な時間」くらいにしか感じていなかっただろう。
だが、小学校は違う。
幼稚園とは比べものにならない程の学生数。周りは殆ど全てが知らない人間。机と椅子とかいう、見慣れない道具。広すぎる校舎。高すぎる天井。
何もかもが初めてだった。
だから、俺は不安に苛まれることになる。
入学後、およそ2週間、俺は毎日学校の教室で泣いていた。
今でも忘れることはない。
涙の理由は分からないが、たぶん、母や弟がいないことへの不安と寂しさ、あとは、知らないものだらけの場所に隔離されたかのように感じる恐怖。
小学校は残酷だ。それまで保証されていた家族との繋がりが、一瞬完全に断ち切られるのだ。そこに母の温もりは何一つとして感じない。
更に俺の不安が募る要因がもう一つ。
今の小学校は分からないが、当時、同じクラスの生徒で整列をするとき、身長順に並ばされていたのだ。俺と同年代の人間であれば、同じ仕打ちを受けていることだろう。
当時身長の低かった俺は、常に列の一番前にいた。
殆ど同じくらいの身長だったNK君がいたのだが、なぜか俺の方が小さいということにされ、俺はずっと一番前だった。だから俺は、1年生の頃は「前ならえ!」と言われて両手を前に伸ばすことが恐らく殆どなかった。なぜなら、一番前は両腕を前に伸ばすのではなく、腰に当てる役目を背負わされるからだ。今思えば、「自分だけが後ろの雑魚共とは違うポーズで粋がることが出来る」と開き直れなかった当時の俺はやはり小学1年生だったのだろう。当時そこまで考えついていれば、俺は間違いなく神童だったろうに。惜しいことをした。
クラス内では、俺が一番前に整列することは暗黙の了解となっていた。女子も当然いたが、恐らく俺は女子よりも小さかった。一番小さい女子よりも小さかった気がする。
身長順に整列するというのは酷で、やはり前の方にいる人間は生物的に弱いとされてしまう。
小学生は子供ながらに弱い人間と強い人間を本能で区別する。だから俺は、クラス内では「か弱い生き物」のレッテルを貼られた。
女の子にもからかわれた。頭をナデナデされたりした。今思えばただのご褒美だが、当時はそれが悲しかった。悔しかったというよりも、ただひたすらに怖くて悲しかったのだ。
疎外感を感じるとか、孤独を覚えるとか、そんな高次の感性は当時持っていなかっただろうから、ただただ恐怖に怯え悲しみに悶えていたんだろう。
もしタイムマシーンがあるのなら、当時の俺を抱きしめてやりたい。
あと、俺は色白だったから、余計に弱っちく見えたのかもしれない。
「白いペンキでも塗ってんの??」と、当時仲が良かった女子によくからかわれていた。
小学1年生のある日、俺はST君に出会う。
彼は所謂ガキ大将みたいな存在で、粗野で暴力的な一面があった。反面、ムードメーカー的な存在でもあったのだが、俺はなぜかST君によく付きまとわれていた。
幼稚園の頃も、ガキ大将のダイスケ君に付きまとわれていたが、俺はガキ大将に好かれる雰囲気を醸し出しているのかも知れない。
ST君は、俺を笑わせてくれようとしてきた。そしてたまに、俺にドロップキックをしてきた。
俺は、ST君のためになるならと、それら全てを甘んじて受け入れた。ST君の前では、絶対に泣かないようにしようと決めていたと思う。それは自分のためか、ST君のためか。今でも分からない。
ST君の前で気丈に振る舞うことが、生きている証だった。
小学2年生になると、俺にも徐々に友達が出来るようになった。当時誰とつるんでいたのかはハッキリと覚えていないが、明らかに俺の学校生活が変わったということだけはハッキリと覚えている。
それはなぜか。
ST君が、クラスの輪からはみ出すようになったからだ。
いくら6歳7歳の子供でも、誰が怖くて誰が怖くないかくらいは分かる。1年間ST君と共にしてきたクラスメイト達は、ST君を「うるさくて怖い人」と断定し、無意識に距離を取っていた。それは、大人が大人を省くような捻くれた感情ゆえの現象なんかではない、本能が成せる業。
俺が、「か弱い生き物」というレッテルを貼られた時と一緒だ。俺とST君との違いはたった一つ、「他人に危害を加えるかどうか」。幸い俺には暴力的な一面はなかったため、皆からからかわれることはあっても、いじめられたり省かれたりすることはなかったのだ。
そのたった一つの違いが、俺とST君の明暗を分けた。
だが、ST君は悪くない。だって当時彼は6歳か7歳かだ。そんな少年に、分別なんてつくはずもない。何が正しくて何が間違っているのかなんて分かるはずもないのだ。
ただ彼は、小学校最初の1年間を「たまたま暴力的に振る舞った」だけで、疎外されることになった。
もしかしたら、俺とST君が逆だったかもしれねえ…。
もし今、友人に恵まれ、先輩後輩に恵まれ、親に恵まれ、環境に恵まれている人がいたら、それは、運が良かっただけだ。君がたまたま、人に好かれるタイプだっただけだ。
小学生は純粋だ。純粋すぎる。
ST君も、俺も、そのほかのクラスメイトも、誰も悪くない。俺たちは皆、純粋だった。純粋だったあまり、結果として明暗が分かれることになっただけなのだ。
その後、学年が上がり中学生になるまで、ST君とは恐らく一度も関わっていない。彼は、いつの日からか学校に来なくなった。
小学2年生にもなると、俺はすっかり泣かなくなった。強くなったわけではない。ただ環境に慣れただけだ。
正直、あんまり記憶は定かではない。ST君のことだけはなぜかもの凄く覚えているのだが、それ以外の事はあんまり思い出せない。
ただ一つ、事件をご紹介しよう。
同じクラスのAN君。
彼はクラスの人気者だった。頭も良く、運動も出来るタイプ。俺も彼とは仲が良く、なんだかんだ中学卒業まで一緒につるんだりしていた。
その日俺たちは、給食の時間を迎えていた。
ちなみに俺は、当時果てしなく好き嫌いが多かった。詳しくは「小学3,4年編」で話すが、野菜なんてもってのほか、汁物も一切口を付けられなかったくらいだ。
給食の献立は毎日変わるが、パック牛乳だけは毎日必ずついて来る。牛乳は栄養価が高いから、子供のうちから飲んでおくのはいいことだ。俺は好き嫌いこそ多かったものの、牛乳は飲めた。
一方AN君はよく食べ、よく飲んでいた。
当時、席の近い人間5,6人で机を繋げて「班」として給食を食べるという文化があった。恐らく、「みんなで食べると美味しい」を実現させるための取り組みだったのだろう。
AN君はその日も、残さず給食を平らげる。確かAN君の班は、6つあるうちの4班。教室の真ん中の後ろに位置する班だ。
その日は皆、いつもの調子で給食を口に運んでいたのだが、AN君は何を思ったか、他の班員の牛乳を飲みたいと言い出したのだ。俺は恐らくその時1班で、ちょうどAN君のことが視界に入る位置に座っており、AN君が班員から牛乳をもらうやり取りも全て見聞きしていた。
ただでさえ小さい小学生の身体に、一体どれだけ牛乳がおさまるというのか…。
「さすがAN君。やることが違う」
当時の俺はそう思ったに違いない。なるほど、こうして人気を得ているのか…なんて思ったりもしていたかもしれない。
ある種社会勉強をするような気持ちで、AN君の勇姿を見届けることを決めた。
2本目、3本目…
AN君は目にも留まらぬスピードで次々とパック牛乳を平らげていく。だが、流石に4本目で手が止まる。
少し呼吸を整えているような印象だ。流石にキツいのだろう。
だが、周りはみんな、自分の給食に手を付けることを忘れ、AN君の一世一代の大チャレンジを見守っていた。飲み終える度に湧く歓声。響く拍手。確か、担任の女教師も興味深そうに観察していた気がする。
クラスメイトの目は、AN君に集中していた。それはさながら、夏季オリンピック水泳、最後の50mでの競り合いを固唾を呑んで見守る観客のよう。或いは、自分の足で初めて立ち上がろうとする赤子を見守る親のよう。
皆の期待を一身に背負い、AN君は4本目に手をかける。
クイッと口に牛乳を含み、半分ほど飲んだところで、一度手を止め牛乳を置く。それまで、一本飲むのに休憩を要さなかったAN君も、流石に半分飲んだところで休憩を挟んだ。
ゲフッ…
その時のAN君のゲップを、今でも鮮明に覚えている。
一瞬だった。
AN君は、驚いたような表情で座ったまま後ろに椅子を引く。それと同時に、いや、それよりも早かったかも知れない。
AN君の口から、新品のベールのような白い液体が、その日一番の勢いで噴き出されたのだった。
キラキラのエフェクトがよく似合う瞬間だった。それはさながら、RPGにおける「全範囲攻撃」。
前に座っていた2人か3人の班員の机に、まだ食べかけの給食に、その白い液体=牛乳がぶちまけられた。
一瞬の出来事だった。
その瞬間を理解できていた人間は恐らく誰もいないだろう。俺も、AN君も、何が起きたのか理解できなかった。
担任の女教師がすぐに雑巾を取り出してきたのを覚えている。
AN君は割と平然としていたような気がする。申し訳なさを感じるでもなく、恐怖に震えるでもなく、喜びに高揚するでもなく、ただ平然と、何事もなかったような表情を浮かべていた。
俺が、「AN君が飲んだ牛乳を全てリバースした」ということを理解したのは、吐いた後のAN君の口から、僅かに白い液体が滴っていたのを見た時だ。それ程までに、リバースの瞬間は速すぎたのだ。
以上が、俺の小学校1,2年の過去編だ。
小学校時代は多くの思い出・トラウマがあるが、1,2年は正直大したことは無い。今思えば考えさせられるようなことは多くあったのだろうが、それでも「牛乳全範囲攻撃」以外は、インパクト自体は薄いだろう。
俺の小学校時代は、3,4年を無くしては語れない。
3,4年を一言で形容するなら、「地獄」。
俺は小学校3,4年で、人権を失い、生きることの困難さを思い知らされることになる。