むろくんこそが、素敵でワガママ

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まちがいさがし/菅田将暉(作詞:米津玄師) 歌詞解釈勝手に

 

 連チャンで歌詞解釈投稿。本当に気分で書いているんで投稿頻度はまちまちなんですわ!

 

 

 

 今回は、恐らく難易度高めであろう米津玄師の作詞曲。歌を歌っているのはご存じ菅田将暉殿ですが、このまちがいさがしは米津玄師が作詞作曲し菅田将暉に提供した楽曲です。言わなくても分かってると思いますが…

 

 

 米津玄師の書く歌詞は非常に難解です。髭dismとは違って言い回しが回りくどかったりします。一目見ただけで「あーなるほど」ってなるような感じはないです。勿論例外はあると思いますが…

 

 

 

 元々はボカロ曲を手がけていた米津。ボカロ曲の歌詞ってなんか意味分かんないですよね。響きの良さそうな言葉だけを集めた感じがします。その名残が多少なりともあるんでしょうか。

 

 

 

 ですが、「まちがいさがし」は比較的分かりやすい方かなと感じます。

 

 

 楽曲作りの裏話とか、そういうのは一切分からないので、あくまで俺が聴いて考えた解釈となります。その点で楽しんで頂ければなと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

全体として

 

 

 タイトルから分かるように、この歌は人生を「間違い探しゲーム」に例えています。

 

 ご存じ、間違い探しゲームとは、「正しいモノ」が既にあり、その上で「正しくないモノ」があり、両者を比較してどこが間違っているかを探し当てるゲームです。サイゼリアのテーブルに置いてあるヤツとか、まさにですね。

 

 

 子供の頃に、皆一度はやっていると思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

1番Aメロ

 

 

 

 

 まちがいさがしの間違いの方に

 生まれてきたような気でいたけど

 まちがいさがしの正解の方じゃ

 きっと出会えなかったと思う

 

 

 

 

 

 ど頭からいきなり「まちがいさがし」というタイトルを回収していきます。

 

 

 

 人生を間違い探しに例えたこの楽曲ですが、何を持って間違いとし、何を持って正解とするかは非常に曖昧だと思います。

 

 

 だから、「生まれてきたような気でいたけど」と歌い、「たぶん、俺は間違った生き方をしているのだろう」と自暴自棄になっているようなニュアンスを出しています。

 

 

 

 でも、「まちがいさがしの正解のほうじゃ きっと出会えなかったと思う」

 

 こういう間違った生き方をしてきたから、出会えたんだろうな、と希望を口にします。「出会えた」とは、誰に出会えたことを指しているのかはこの時点ではいまいち分かりませんね。

 

 

 「間違った生き方をしていたような気がしてたけど、だからこそ出会えたんだな」ってことですね、このAメロは。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

1番Bメロ

 

 

 

 ふさわしく 笑い合えること

 なぜだろうか 涙がでること

 

 

 

 

 

 早速難解な歌詞が出てきました。

 

 

 「笑い合える」とあるので、「出会えた」とは、きっと大切な人に出会えたことを言っているのでしょう。友人でも恋人でも家族でも、何でも考えられますね。

 

 

 「笑い合えること」「涙がでること」

 

 「こと」をつけて、名詞化しています。そして「笑う」と「涙が出る」という正反対の言葉を並べています。

 恐らくですが、間違い探しになぞらえているのでしょう。どちらが正解でどちらが間違いかはよく分かりません。

 

 「なぜだろうか」とあるので、「涙が出るのが不思議だ」というニュアンスがあるとすると、「間違いの方に生まれてきたような気がしていた」主人公にとってみれば、「涙が出る」方が「正解の方」なのかもしれません。何とも言えないですね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

1番サビ

 

 

 

 君の目が貫いた 僕の胸を真っ直ぐ

 その日から何もかも 変わり果てた気がした

 風に飛ばされそうな 深い春の隅で

 退屈なくらいに何気なく傍にいて

 

 

 

 

 サビです。

 

 「君の目が貫いた 僕の胸を真っ直ぐ その日から何もかも 変わり果てた気がした」

 

 

 大切な「君」と出会って、僕の人生は変わったというニュアンスで間違いないと思います。こういう内容の歌詞は割とよくありますね。それこそ、前回やった髭dismの「ビンテージ」もこんな内容でした。

 

 

 「変わり果てた」という言葉選びは流石ですね。「果てる」という言葉を付随することで、「まるっきり180度変わった」というニュアンスがくみ取れます。

 

 

 

 

 

 「風に飛ばされそうな 深い春の隅で 退屈なくらいに何気なく傍にいて」

 

 

 ここでも難解な歌詞が登場します。米津は「春」というワードをよく使いますね。気のせいでしょうか。

 

 

 

 「風に飛ばされそうな深い春」とは何でしょうか。

 

 

 「風に飛ばされそうな」ということは、非常に「軽くてふわふわしている」ような印象を受けます。

 「深い」とは、暗くてじめじめしていて、誰もいない場所、みたいな印象を受けました。

 「春」ははじまりの季節です。一見するとポジティブなワードですが、「深い春」と言われると、ネガティブなワードに思えます。

 

 

 つまり、「風に飛ばされそうな深い春」とは、「重みのない浮き足だった自分が、暗く孤独な場所でスタートラインから動けずにいる」という意味のニュアンスがあるんじゃないかと考えました。

 あくまでワードから連想される雰囲気を汲み取ってみただけなので、実際米津が何をおもってこのワードをチョイスしたのかは、彼本人にしか分かりません。

 

 

 

 

 その「隅で」。

 つまり、そんな僕を隅っこの方で見守ってくれているだけでいい、ということでしょうか。

 

 

 

 「退屈なくらいに何気なく傍にいて」

 

 

 米津味のある歌詞ですね。

 

 「退屈なくらいに何気なく」とは、「そこにいるのが当たり前になるように」との印象を受けました。

 

 

 

 

 

 

 

 1番をまとめると、

 

 「自分の生き方は間違っていたのかも知れないけど、間違っていなかったら君には出会えなかっただろう。それまで希望のない人生だったけど、君と出会えて僕は変われる気がするから、いつでも傍で見守っていてくれ」

 

 

 みたいな感じでしょうか!

 こうしてみると、別に大して突飛で珍しいことを歌っているわけじゃないのかなと感じました。勿論、俺の解釈が全てでは無いですが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2番Aメロ

 

 

 

 間違いだらけの 些細な隙間で

 くだらない話を くたばるまで

 正しくありたい あれない 寂しさが

 何を育んだでしょう

 

 

 

 

 

 

 2番Aメロは、「自分が生きる間違いの方」について語っているシーンです。

 

 

「間違いだらけの些細な隙間で くだらない話を くたばるまで」

 

 

 「間違いだらけ」の人生だけど、そんな人生の「些細な隙間」(君と一緒にいられる一瞬一瞬)で、君と「くだらない話を くたばるまで」していたいというニュアンスでしょう。

 

 「くたばる」という言葉はあんまり綺麗な言葉ではないですが、恐らく「くだらない」の「くだ」と「くたばる」の「くた」を掛けたのでしょう。

 

 

 

 

 「正しくありたい あれない寂しさが 何を育んだでしょう」

 

 

 

 「正しくありたい」とは、「間違い探しの正解の方」で生きたかったということでしょう。

 「間違い探しの正解の方で生きたかったけど、それは叶わないという寂しさ」が、一体これまでの人生で「何を育んだでしょう」と歌っています。

 

 

 つまり、「今までの自分を否定し、無い物ねだりと後悔ばかりだった生き方は、一体何を生むというのだろう。そんなことを考えるだけ無駄だ!」という前向きな箇所になっています。君と出会ってから、こんなことを考えるのは馬鹿馬鹿しいと払拭するシーンですね。

 

 そして、次のBメロで新たに誓いを立てます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2番Bメロ

 

 

 

 一つずつ 探し当てていこう

 起きがけの 子供みたいに

 

 

 

 

 これまた難解です。

 

 

 「一つずつ 探し当てていこう」。

 「探し当てていこう」とは、「間違い探しの間違いと正解を探し当てていこう」という意味で間違いないと思います。

 自分がこれから歩む人生は「正解」か「間違い」か、ゆっくりと探していこう。

 

 

「起きがけの 子供みたいに」

 

 ここは未だによく分かりません、正直。

 起きたばっかりの子供ってことですよね。眠い目を擦りながら、母親に連れられ、意識が半ば朦朧とした中で無心で朝食を口に運ぶ…。そんな映像が浮かびました。

 

 難しいことは考えずに、ゆっくりやっていけばいいよ!ってことでしょうか…?

 釈然としませんね。ここはまだ納得のいく解釈ができていません。ごめんなさい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2番サビ

 

 

 

 君の手が触れていた 指を重ね合わせ

 間違いか正解かだなんてどうでもよかった

 瞬く間に落っこちた 淡い靄の中で

 君じゃなきゃいけないと ただ強く思うだけ

 

 

 

 

 

 「一つずつ探し当てていこう」と決めた直後でしょうか、大切な「君の手が触れていた」。 

 「指を重ね合わせ」とは、手を繋いだということでしょうか、それとも手を重ねたということでしょうか。

 どうとでも取れると思います。最初に連想されるのは「恋人つなぎ」ですが、ここでいう「君」が恋人であるとは限りません。

 「君の手が触れていた 指を重ね合わせ」とは、実際にそうなったという意味ではなく、比喩の可能性もあります。手が触れるくらい近くに君がいて、指が重なっているかのように感じるくらい君は大切なんだ…的な。

 

 

 

 

 「間違いか正解かなんてどうでもよかった」

 

 

 この歌の根幹となる箇所だと思います。

 

 君の存在を間近に感じると、自分がこれまで歩んできた人生が間違いだったとか、これから歩む人生が間違いか正解かを探し当てていこうとすることとか、そんなことはもうどうでもいいんだ、ってことですね。

 そんなことに捕われていた自分が馬鹿馬鹿しくなります。君が近くにいるだけで僕は幸せなんだってことでしょう。

 まちがいさがし」なんて、しなくてもいいんだ、ってことです。

 

 

 

 

 「瞬く間に落っこちた 淡い靄の中で」

 

 

 

 この歌詞を見た時に、1番のサビの「風に飛ばされそうな 深い春の隅で」という部分と対比していることに気付きました。

 

 

 「風に飛ばされそうな」ほど軽くふわふわしていたものが、「瞬く間に落っこちる」ほど重く充実したものになります。

 「深い」の対義語は「浅い」ですが、「浅い」だと文字通り歌詞が浅くなるので、「淡い」というワードをチョイスしています。

 「靄」とは視界を遮りますが、それはもうすぐ晴れそうなくらい「淡い」程度。

 「隅」と「中」も対比しています。

 

 

 つまり、

 「君と出会えて、僕の人生は充実したかけがえのないものになり、それまで真っ暗だった視界は徐々に晴れてきて、僕は今その中心に立つことが出来ている」というニュアンスだと考えます。

 

 

 

 

 「君じゃなきゃいけないと ただ強く思うだけ」

 

 

 

 そのままの意味になります。

 

 前回の「ビンテージ」同様、ここでも「ただ」という素敵な二文字があしらわれています。アーティスト御用達のワードなんでしょうかね。

 

 

 

 

 

 

 ラスサビは1番2番のサビと同じなので、省略致します。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

最後に

 

 

 「まちがいさがし」、如何でしたでしょうか。

 

 

 人生を間違い探しゲームに例えるあたりは流石の米津と言ったところです。それも、最後は「間違いか正解かなんてどうでもいい」と締めくくるところも流石ですね。

 

 

 

 米津作詞の歌詞はやはり難しいです。難しいというか、自分の解釈が本当に的を射ているかどうか不安になります。

 彼は間違いなく天才ですから、もっと深い意味があるんじゃないか…と不安になります。

 

 「起きがけの子供みたいに」はいまいち分かりません。誰か分かったら教えてください…。

 

 

 

 

 でも、解釈は人それぞれです。

 

 

 

 

 

 

 

 解釈が間違いか正解かなんてどうでもいいんだよ!(ドン!)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 …決まったので、ここらで終幕。 

 

 

 

これまでの歌詞解釈↓

 

 

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