むろくんこそが、素敵でワガママ

むろくんこそが、素敵でワガママ

「読む」以外のことは何も考えないでください。

むろくんの奇妙な過去編 幼稚園編

 

 おいおい、すっかり秋だなァ!

 

 

 秋と言えば、スポーツ!読書!芸術!食欲!だね!

 

 

 結局何やるにも向いてる季節ってことだろ!?

 

 

 

 

 それが四季の中で一番短くて一番パッとしないのが俺は許せねえ!みんなも許せねえよな?

 

 

 やってやろうぜ!見せてやろうぜ、俺たちの秋!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 今日美容院に行ったら幼稚園の話になったんで、僕が通っていた幼稚園の話を少しだけしようと思います。

 

 

 たぶん、皆今一番知りたいことなんじゃないかと思って記事にしました。

  これまでにないくらいの自分語りです。

 

 

 

 僕が通っていた幼稚園は、カトリックの幼稚園でした。

 

 

 

 カトリックって何?って思う人は、自分で調べてください。

 

 

 

 

 

 

 ドミニコ修道会だかが母体らしいです。一応宗教法人なんですね。

 園長先生も外国の方でした。

 

 

 

 

 

 

 この幼稚園では、毎朝奇っ怪な儀式をやらされます。

 

 

 まずろうそくの前に正座して、お祈りをします。当時の僕はこのときに何を考えていたんでしょうね。

 

 

 そして、木でできたお玉にピンポン球サイズの蛍光色のゴムボールみたいなのを乗せて、床に貼ってあるテープ線上を歩きます。

 

 

 

 

 今思えば、アレはなんだったんでしょうね?当時はわけもわからず、言われるがままに実行していました。

 

 あの儀式に何の意味があるのかは、20歳を超えた今の僕でも理解に苦しみます。あれは、カトリックに対する冒涜にはなり得ないんでしょうかね?証言台に立つ日も近いかも知れませんね。

 

 

 

 

 お昼ご飯の前には、先生がピアノを弾きます。何の曲だったのかは思い出したくもありませんが、結構長めだったと思います。

 

 ピアノを弾く先生は、いつも同じ先生でした。もしかすると、昼食前のピアノ演奏ができる先生はエリート中のエリートなのかもしれません。数ある試練を乗り越え、ピアノ演奏を勝ち取ったあの先生に、拍手を送りたいですね。

 

 

 

 そして、壁に貼られた紙に書いてある呪文を読みます。これも結構長いです。じゅげむの2倍くらいの長さだったと思います。その内容は、全く覚えていません。

 

 

 ただ、最後に「アーメン」で締めるのは覚えています。この「アーメン」だけは、異様に皆声に力が入るんですね。最後の「アーメン」だけは揺るぎない確固たるものですからね。自信を持って声に出せるんでしょう。僕もそうだったと思います。

 だから、「ラーメン」と言っても誰にもバレません。

 

 

 毎日毎日、アーメンアーメンと意味も分からず唱え続ける園児達に、今の僕はどんな視線を送るのでしょうか。

 

 

 

 お昼ご飯を終えると、折り紙で遊ぶ時間が訪れます。銘々創意工夫を凝らし、作品を作り上げていきます。

 

 また、教室の隅には、プラスチックの包丁でキュウリを自由に切ったり、ゆで卵の皮を自由に剥いたりするコーナーがありました。僕はこのコーナーが結構好きでした。

 なので、ここを聖域と呼んでいました。嘘です。

 

 

 あとは、球根を育てることを強制されました。球根って分かりますかね?根っことか茎の部分が膨らんでるヤツですね。それがプラスティックの容器に水と一緒に入ってて、それを育てるんですね。

 

 

 チューリップの球根だったと思います。花が咲いたかどうかはマジで全く覚えていません。

 

 

 

 あと、定期的に教会にお祈りに行かされます。うちの幼稚園は、教会兼幼稚園みたいなところでした。

 

 

 

 

 

 そして、毎週金曜日には金太郎先生が襲来します。

 

 勿論、金太郎という名前は”通称”だと思います。本名は別にあり、またの名を、金太郎先生と言うのでしょう。二つ名ですね。小渕さんで言うと、「平成おじさん」みたいなことです。

 

 

 金太郎先生は、金曜日に縄跳びを教えにやってくるんですね。緑色の床の体育館みたいなところに全員が集められ、縄跳びをします。

 

 

 

 

 しかし僕は、金太郎先生が苦手でした。

 とにかく強面で、ガタイがいいんですね。怖くてたまりませんでした。まるで、「鬼」でした。僕は金太郎先生に「鬼」の名を冠し、距離をとるようにしました。

 なので僕は、当時の担任に毎週「すいません○○先生、今日も金太郎先生お休みしたいです」と頭を下げ、縄跳びタイムを免除してもらっていました。

 

 

 今思えば、このときに縄跳びをサボってしまったことで、僕は将来的に運動神経が伸び悩んだのかも知れませんね。知らねえけど

 

 

 

 

 

 運動会は、田舎のスタバの店内と同じくらいの広さの園庭でやってました。ちなみにスタバには入ったことはありませんし、飲んだこともないですが、キャラメルフラペチーノはたぶん好きです。

 

 

 

 僕は借り物競走に出ました。そして、見事一位を獲りました。トップ3は、手の甲に油性ペンで順位を刻まれます。

 エスパーダみたいな感じですね。僕は当時、エスパーダでした。今となってはプリバロン・エスパーダですけどね。分かる人にだけ分かればいいです。

 

 

 待機中は、水深30cmくらいの浅いプールの中に並べられた椅子に座らされます。縁石みたいなプールです。茶番もいいところですよね。

 

 

 

 

 

 

 劇もありました。カトリックの幼稚園ということもあり、イエス・キリストに関連した劇をやりました。

 ストーリーは全く覚えていません。というか、たぶん当時も把握してなかったと思います。

 

 

 

 僕は羊飼いをやりました。灰色のニット帽を被り、茶色いセーターみたいなのを着て、疑似ロウソクの前で正座をしながら手を合わせて目を瞑ってるだけのチョイ役です。セリフもなかったと思います。

 

 大茶番ですわな。

 

 

 ちなみにこのとき、同じく羊飼い役だったとある園児と、中学生の時に塾で再会を果たします。余談も余談ですが

 

 

 

 

 

 あと、人形劇がありました。

 これは、園児ではなく、園児の保護者(主に母親)が人形を作り、動かして園児に見せるという、当時にしては画期的なスタイルで行われる劇でした。

 

 

 保護者達は、我が子の面子を保つ為に競い合ったのでしょうかね。

 

 ちなみにうちの母親は当時、人形劇の中でもカーストトップクラスだったらしく、人形の扱いに長けていたそうです。

 

 

 

 

 

 

 年長さん時代、僕はつくし組でした。そこでとある友人と出会いました。彼とは未だに会って遊んだりする仲です。

 

 

 

 つくし組の担当だったエミコ先生は、美人でした。つくし組の男児達は、我こそがエミコ先生と結婚するんだと、親の反対も押し切り、求婚に求婚を重ねました。エミコ先生はその一つ一つに、丁重なお断りをしていました。

 

 

今の僕

「エミコ先生はいい女だった。あんないい女はいない」

 

 

 

 

 

 

 

 

 ガキ大将もいました。ダイスケくんです。彼には誰も逆らえません。

 

 

 しかし、僕は気に入られていたようで、結構一緒にいる時間が長かった園児の一人だったと思います。

 僕は当時、物腰柔らかで控えめな性格だったので、敵を作るということが一切ありませんでした。そこを気に入られたのでしょう。

 

 

 ただ、今思えば彼と一緒にいる時間はお世辞にも楽しいとは言えませんでしたね。でも、彼に逆らうことはせず、かといって彼の味方をするということもありませんでした。

 意外と、僕は大人だったのかも知れませんね。

 

 

 

 

 

 

 さて、ここからは懺悔の時間です。

 

 年中さんの時に同じクラスだったイトウ君に、僕はこの場を借りて謝罪したいです。

 

 

 

 

 事情を説明させていただきます。

 その時は、雪が降り積もっていました。例の浅いプールの中で、僕とイトウ君は白銀に大はしゃぎ。雪だるまを作ったり、雪合戦をしたりして遊んでいました。

 

 

 

 すると、イトウ君がおもむろに立ち上がり、園庭で遊ぶ他の園児を指差しながらこう言いました。

 

 

「ここから、アイツらに雪玉をぶつけてやろうゼ!」

 

 

 

 僕は二つ返事で立ち上がり、何の迷いもなく雪玉を近くの男の子にぶち当てました。イトウ君が提案したのなら、この遊びに間違いは無い。そういう無責任な考えが、当時の僕の中にはあったのかも知れません。

 

 

 

 僕の投げた雪玉が、黒い防寒着を着た男の子の後頭部に当たりました。すると、彼は目にもとまらぬスピードで振り返り、手に持っていた雪玉を投げ返してきました。

 

 

 彼の投擲は、音を置き去りにしていました。

 

 

 

 雪玉は僕の喉元に直撃しました。頸動脈にあたる部分ですね。雪でなければ死んでいたでしょう。

 

 

 

 僕が雪玉を当て戦争をしかけた相手は、一つ上の先輩、年長さんでした。

 

 

 

 

 ヤバイ、殺される…

 

 

 

 

 僕は咄嗟に、彼から距離をとりました。そして、隣で呆然と立ち尽くすイトウ君を指差しました。僕は、震えた声で言いました。

 

 

 

「ぼ、ぼくじゃない!コイツです…!!」

 

 

 イトウ君は咄嗟に反論します。

 

 

「は?オレじゃねえヨ!」

 

 

 

 

 そうして僕は、ダッシュで教室へと逃げてしまいました。

 

 

 

 

 

 

 それを機に、イトウ君との関係に亀裂が入った…なんてことにはなりませんでした。

 しかし、だから許されるわけではありません。

 

 

 僕は自分の保身の為に友達を売ったのです。決して許されていい行為ではありません。

 

 

 

 イトウ君、本当にごめんなさい。僕にできることならなんでもします。いつでも連絡してください。

 

 

 

 

 以上、懺悔の時間でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 数々の試練を乗り越え、知育に知育を重ね、僕は卒園を果たしました。当時、少しだけ寂しかったことは、今でも覚えています。

 

 

 何より、小学校へ進学することへの不安が大きかったです。幼稚園生と小学1,2年生は年齢的には2,3個しか変わらないはずなのに、やはりそこには大きな壁を感じざるを得ませんでした。

 

 

 

 

 その不安は的中し、僕は小学校に上がると、毎日涙を流す日々を送ることになります。

 小学校の話は、また別の機会に…。

 

 

 

 

 

 さて、幼稚園時代の話をしてきましたが、ここに記したのはそのほんの一部です。

 

 

 ちなみに、今年の3月末に、僕が通っていた幼稚園は閉園してしまいました。震災と少子化が大きく影響しているのでしょう。

 

 

 

 

 

 でも、つらくもないし、寂しくもありません。

 

 

 幼稚園での教えは今も活きています。例え幼稚園が閉園しても、僕という人間が、幼稚園の教えを守っていく限り、僕の中に幼稚園は未来永劫残り続けます。

 

 

 

 

 カトリック幼稚園は、永久に不滅です。