コロナウイルスの影響で私の生活は変化したのか
寝落ちしたことを後悔しないくらいの時間があるのに、それも大好きな家の中での時間なのに、夕飯時が訪れるのを心待ちにしている毎日です。食べることに最高の幸福を抱いているわけではありません。でも、食べた瞬間に最高の幸福を感じて寝落ちする毎日を送っていることは事実でございます。夕飯は、一日を生き抜いた自分へのご褒美でしょうか。だって有り余るくらいの幸福を感じるんですもの。「生きてて良かった」を、こういう時に使える人間になれるといいんですかね。
新型コロナウイルスの影響で、外出自粛要請が出され、不安と退屈のサンドウィッチになっている人類です。皆さんの生活はどのように変化しましたか。そもそも、これまでも如何様にも変化しそうな生活を送っていたんじゃないですか?
私は「変化」を嫌います。だから、今回の外出自粛も嫌ってるかって、そんなことはございません。なぜならば、外出自粛要請が出ようと、緊急事態宣言が出ようと、コロナウイルスの影響で人が死のうと、私の生活はほとんど「変化」していないからです。
こんなことを言ってしまうと、不謹慎だと感じる方もいるでしょうが、私はコロナウイルスサンキューと感じてしまうことが結構あります。出不精の私からすれば、外出自粛要請や緊急事態宣言が出たことで、ようやく世間が自分の生き方に追いついてきたな、って感じです。
勿論、恐怖はございます。一蓮托生に相応しい相手が見つかっていない今この瞬間に、肺炎で死ぬのは我ながら少し惜しい。ただ、「生きること」が人生において「死ぬこと」の次に難関であると考える私にとって、それを脅かすコロナウイルスの存在は、少しの感謝を抱くべき存在なのかもしれません。難関は、避けて通れるなら通りたいですものね。
買い物はしていますか。している方が殆どでしょう。
私もしています。買い物のペースは、一切変わっておりません。二日続けてすることもあれば、一日おきの時もあれば、二日おきの時もあるでしょう。その日の己の空腹と眠気の対決の結果次第で、週の買い物回数は変わってきます。
それ以外の外出は、しておりません。散歩もしておりません。電車やバスに乗るなど愚か。誰かに会うようなこともありません。
現在就活生ですが、就活は家の中でもできます。というか、家の中で就活をすることを強いられる現状です。私としてはむしろ好都合ですね。
ところで、目に見えないウイルスが蔓延しているということを念頭に置いたときに、いつもより空気が心なしか濁って見えることはありませんか。それは間違いなく気のせいであることは自明です。メガネの汚れでしょうか。網膜に傷が入っているのでしょうか。
例えば隣の家の屋根がくすんで見えたり、土の色が歪んで見えたり。無意識のうちに息を止めている可能性も無きにしも非ずですね。
危機感や恐怖が、肉体を支配していることをひしひしと感じさせてくれます。「生きること」を脅かす要因が、目と鼻の先にあるような感覚に陥るんですね。
とまあ、変化を許さない私の生活ですが、変わったことが二つだけあります。
カーテンを開けたまま夜中を迎えてしまうことが多くなりました。
それから、パソコンの電源が一日の節目を教えてくれることがなくなりました。
一つずつ、ご説明致します。
私、夜6時にはカーテンを閉めるようにしています。理由はと申しますと、外の暗さが室内の明るさを浮き彫りにするからです。私の理想は、「この部屋には誰も住んでいない」と思わせることです。もっと言うと、「この部屋には誰も住んでいない」と、自分自身に誤認させること、です。
ですが、コロナウイルスの影響で外に対して違和感を持つようになってから、カーテンを閉めることがなくなってしまいました。なぜでしょうか。
もう一つ、パソコンの電源の件。
基本的に私、夜寝る前はパソコンの電源を落とします。逆に言うと、一度付けたら寝るまでは電源を付けたままということですね。使っていない間は、電源を切らずにパソコンを閉じます。そして、寝るときになって電源を落としたときに、否が応でも一日を終わらせるんですね。パソコンの電源と己の意識が連動していることを信じないと、眠ることが出来ない……眠れない大学生の生き様でございますね。
これが、生活リズムの狂いによってパソコンの電源を落とさずに寝落ちしてしまうことが増えてしまいました。つまり、私の一日が終わらないまま、私の一日が終わってしまうということです。これは由々しき事態でございます。取り返しの付かない事態でございます。
明日もお腹は空きます。