タートルネック が 魂不在の 隙を 狙って きた
名前くらいは聞いたことがあった。
その名前が、何を意味しているかも分かっていた。
分かった上で、違和感を覚えていたことも確かだ。
でも、昨日の俺は、覚えていたはずの違和感を忘れていた。
皆さん、タートルネックとかいう服をご存知?知っている人は知ってるだろうし、知らない人は知らないと思う。
俺は知ってた。どこで聞いたのかは覚えていないが、知っていた。覚えていた理由としては、第一に、まず名前のインパクトがまず一つ。そして第二に、その服の形状を見た時に名前の意味に合点がいったからだ。
タートルネック。直訳すると亀の首。
亀の首と言えば、甲羅の先端から突出している長いあの首を誰もが思い浮かべるだろう。多少のグロテスク感もありつつ、どこかユーモラスでかわいげもあるあのタートルのネックになぞらえた奇抜なファッション、それがタートルネックだ。
これがそのタートルネックだ。
この形状を見た時に、「タートルネック」という名前の意味を俺は即座に理解することが出来たのだが、みんなはどうだろうか?
これが由来となった「亀の首」だ。
亀の首は基本的に長いが、普段はこうして皮みたいなものに収納されている。三脚や突っ張り棒と同じ構造だろう。
この、長い首を収納し覆い隠している皮の部分が、「タートルネック」の名前の由来だろう。
最初の画像を見てもらえば分かると思うが、写真の男性の首は高くて厚い襟で覆われて完全に隠れている。まさに亀そのものだ。
だが、あまりに滑稽ではないだろうか?
そもそもなぜ我々人間が、洋服を介して亀に近づかなければならないのだろうか。万年生きると言われる長寿な亀への憧れだろうか。はたまた嫉妬だろうか。
人間の発想力というのは、時折人間の理解を超える。不思議な話もあるもんだ。
タートルネックだけではない。男性には「亀頭」と呼ばれる部位が存在する。
亀の首と頭の名を冠した存在が我々の身近に溢れていることが、よく考えてみると奇妙だ。
亀と人間との間に優劣を付ける気は無い。ただ、違和感を感じざるを得ない。
この違和感は、今に始まったことではない。最初にタートルネックを目にしたときから、俺はこの違和感を捕らえて放さないでいた。
誰が買うんだ、こんな服。
事実、俺は生まれて21年間、タートルネックを着ている人間を目にしたことがない。「失敗するなら若いうちに」の常套句を盾に様々な髪色やファッションに勇猛果敢に勝負を挑む大学生ですら、タートルネックには手を出さない。
これは、日本人の共通認識。いわゆる常識になっていた。
タートルネックなんて着るもんじゃない。
タートルネックでググれば着ている日本人モデルは腐るほどいるが、モデルは服を着るのが仕事だ。普段からタートルネックを着ているとは限らない。
第一、俺がタートルネックを着ている人間を見たことが無いのが何よりの証拠なのだ。
俺はタートルネックへのこの認識に疑心を抱いたことはないし、恐らくみんなもそうだろう。
触れてはいけない禁忌だった。
でも、昨日の俺はひと味違った。
昨日俺は、親からもらった1万円分のギフトカードを使って新しい冬用コートを買うために東京へと繰り出した。
だが、肝心のギフトカードを家に置いてきてしまうという失態をぶち犯してしまう。まあ、現金で払えばいいし、ギフトカードはまた別の事に使えると割り切れば大した失態でもなかった。
色々なお店を巡る中で、俺はGUに立ち寄った。ご存じ、みんな大好きGUだ。それを裏付けるかのような様々な客層は、日曜の昼にピッタリ。多種多様な買い物客が、リーズナブルな洋服に釘付けになっている様子は見て明らかだったし、俺もその一員だった。
もう春用の服が売っているのか。
やっっっっっす!
このコラボシャツ誰が買うんだよ
様々な感情が、理路整然と並べられた洋服の布地を擦っては消えを繰り返す最中、俺は件の「タートルネック」を見つけた。
あ、タートルネックだ。
何を思ったのか。俺はタートルネックを一つ手に取った。それは確かにタートルネックだった。
あったかそう
それが最初の感想だった。
色は白と茶色で、セーターとかニットの類いだった。名前の由来となる厚く膨らんだ襟元は、細いステンレスハンガーを悪びれた様子もなく掴んで離さなかった。
生まれて初めてだ。タートルネックを手に取ったのは…。
だが、最初に手に取った段階では、俺は購入に踏み切らなかった。あり得ない、この俺がタートルネックを買う?そんな馬鹿な話があっていいはずがない。
第一、俺はコートを買いに来たのだ。こんなところで計画外の出費を、それもタートルネックに掛けるなんて愚かさを極めている。
鼻で笑いながらタートルネックを元あった場所に戻し、コート探しを続行。
結局、俺のお眼鏡にかなうコートは見つからなかった。
別にそれは構わなかった。洋服との一期一会の出会いはそう簡単に成せるものではないし、妥協して高い出費を重ねたり、好みでない物を買うくらいなら、買わずに帰る方がマシだ。
俺は正しい判断をした。
一緒に来ていた友人が、GUで気になった商品を試着している時だ。
俺は不思議な引力に引かれ、再びタートルネックの前に立っていた。
茶色のタートルネックを再び手に取る。
かわいいな…
本来の人格を、どこかに置き忘れてきたとしか思えなかった。
タートルネックとの一度目の邂逅と二度目の邂逅とで、明らかに俺は違う人だった。
一度目の引力に耐えた本来の俺の肉体と魂だが、肉体だけは二度目の引力に逆らえず魂との乖離を余儀なくされた。離れ離れになった肉体は、本来の魂を失っていた。
やがて、本来の俺とは違う知らない魂が彷徨いの果てにGUに忍び込み、店内の空気にあてられた俺の空っぽの肉体に入り込むことで受肉を果たし、本来の俺とは違うオレが完成した。
オレは親しい肉体と見知らぬ魂で、茶色のタートルネックを買う決意を果たした。
試着はしなかった。
肝心のタートルネック本体をお見せするのを忘れていた。
これが、その時に買ったタートルネックだ。1,2,3…!
今改めて見ると、悍ましい。
オレは家に帰ってタートルネックを着て鏡の前に立った。
その瞬間だろう。見知らぬ魂が身体から離れ、本来の俺に戻ったのは。
は?
タートルネックなんて着るもんじゃない。
そんな常識が、最初からそこにあったかのように感じられた。いや、その常識は最初から傍にあったのだ。
だが、俺は現にタートルネックを買って、鏡の前で着ているではないか。
この矛盾に俺は苛まれ、8kg痩せた。
それは嘘なのだが、頭を抱え悶え苦しんだ。
部屋着決定。