むろくんこそが、素敵でワガママ

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「読む」以外のことは何も考えないでください。

1週間親子丼生活したら人生観が変わった【空の蒼さ】

 

 

 実は1週間親子丼生活してました。

 

 

 

 

 お前ら親子丼は知ってるか?親子も舌鼓を打つくらい美味しいことからこの名が付いたとされていない。

 言うほど卵とニワトリって親子か?って思う。てか、結局のところ卵と鶏はどっちが先だったわけ?それ如何でどっちが親でどっちが子供か決まってくるじゃん。なんなん?グタグタじゃん。エンターキーの反応も悪ィしよぉ!

 

 

 

 

 俺がなぜ1週間親子丼生活に踏み切ったか、お前らには分かるか?俺には分からない。それすなわち、理由はないということ。何事にも理由を見出そうとするな。世間はすぐに理由を知りたがる。なぜ人を殺した?なぜうちの会社を志望した?だがな、理由のある思考や言動なんてのは大したもんじゃねえ。理由が判明した時点で底が知れちまうんだ。理由には夢もロマンもありゃしねえ。理由ばかり追い求めるな。

 

 

 理由のない思考や言動こそ、俺は尊いと感じる。それは、本能がそうさせたように思えるからだ。本能は理由とは違う。本能は理由と対極にある。理由が白組なら本能は紅組、理由がアルカリ性なら本能は酸性だ。

 

 

 俺は本能で親子丼を貪った。一心不乱さ。そりゃそうだろ、理由のない言動なんだからな。理由は停止を呼ぶが、本能は始動を予感させるだけで停止は呼ばねえ。分かるか?俺には分からねえ。分かってたまるかよ。人間の本能を人間が理解できるはずがねえ。本能ってのはそういうもんだ。理解が及ぶ本能は本能じゃねえ。それは、本能のペルソナを被ったただの理性だ。

 

 

 

 

 

 

 親子丼はとっても簡単に、安く、美味しく作れる。更には腹も膨れるときたもんだ。もし、親子丼を自分で作ったことのねえヤツがいるんだとしたら、これほど笑える話はねえな。くすぶってるヤツは今すぐ鶏と卵とタマネギとめんつゆを買ってこい。これさえありゃ親子丼は出来上がっちまう。

 

 

 

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作品名『翼無きイカロス、蒼穹に堕つ』

 

 これが、俺が作った親子丼だ。ちなみにこの写真は、2年以上前に撮ったやつだ。俺がまだ、「まだまだ大学生活はこれからだ!」って夢見てた時代だな。地球で喩えるならカンブリア紀だ。

 美味そうだろ??そりゃあそうさ、美味えんだからな。

 

 よく、飯の写真を見て「美味そう」と抜かす奴がいる。だがな、写真で見て美味そうな飯はもう絶対に美味えんだよ。だからな、そういうときは「美味そう」じゃなく「美味い」と言え。食った気になれとは言わねえが、食わずとも美味いことに変わりはねえんだからな。いいか?

 

 

 

 

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ナポリの異端児と黄金の謙譲

 

 美味そうな写真の飯は絶対美味いが、例外として、このカルボナーラは不味い。途轍もなく美味そうだろ?盛り付けのセンスも光ってるし、なんというか、黄金比黄金比が席を譲り合ってたら、後から乗り合わせた白銀比に席を横取りされちまう…そんなイメージを膨らませながら盛り付けた。ちなみにこれも2年以上前の写真だ。写真家むろくんは、カンブリア紀を代表する生命体さ。

  この世には「例外」と呼ばれる魔物が至る所で息を潜めてやがるんだ。この「例外」が、結構俺たちを苦しめやがるんだ。小さい子供を叱るときは、「いい子にしてないと例外に喰われちまうよ!」と叱責してやってほしい。分かったな?

 

 

 

 

 親子丼の話をしようぜ。俺たちは親子丼の話をしにきたんだ。

 

 まあ、俺が1週間親子丼生活をしたことに理由がねえってことは分かって貰えたと思う。

 

 

 

 

 実際のところどうだったか、教えてやるよ。 

 先週の金曜日から1週間親子丼生活を始めたんだ。あれはよく冷える夜だったよ。慣れた手つきでタマネギを薄切りにする俺のほのかな立ち姿に、卵が孵りそうになったのを今でも覚えてるぜ。

 

 

 初日の親子丼は、美味えなんてもんじゃねえ。だって考えたら分かるだろ?見ただけで「美味い」と分かるんだから、実際食べたら「美味い」を越えていくんだよ。分かるか?分かる?

 親子丼を「見る」という行為によって、俺は「美味い」と感じるわけだ。そして、今度はそれを「食べる」わけだ。飯において「食べる」という行為は「見る」という行為の完全上位の存在なわけだから、「食べる」ことで「美味い」以上の成果を得られるわけだ。つまり、親子丼を口に運んだ時点で「美味いなんてもんじゃない」ってこと。要は、親子丼は「美味くなかった」。Q.E.D.

 

 

 

 

 

 

 

 二日目の親子丼も絶品だったさ。

 1週間親子丼生活に関係なく、俺は基本的に親子丼を食べるときは2日連続で食べる。どういうことか分かるか?一度の買い物で二日分の材料を購入しているからさ。親子丼ってのはタマネギ半個で十分なんだ。だから、絶対にタマネギは2分の1個以上余る。つまり、タマネギを使い切るためには2日連続で親子丼を食べることが最善の策なんだよ。これはカンブリア紀に俺が気付いたことだ。先見の明を肌で感じていた時代だな。

 先見の明といえば、「豆腐を包丁で切らずに手で千切って鍋に入れると、より味が染み込む」というのを最初に発見したのも俺だ。最初に発見した、というのは大嘘だ。最初にそれに気付いた時は、「俺は人類にとっての大いなる一歩を踏み出してしまった」と涙に暮れたが、実際調べてみると、世間にとっては既に周知の事実だったようだ。あの時、俺は絶望したさ。絶望がグツグツと煮詰まる音が聞こえたね。今もなお聞こえている。

 

 

 

 

 

 

 三日目の親子丼は、俺にとって未知の領域だった。

 今まで親子丼を3日連続で食べた事なんてなかったさ。

 

 だがな、三日目も親子丼はやっぱり美味かったさ。親と子の繋がりの深さを感じたな。どっちが親でどっちが子かは知らねえけどな、それでもあいつらには血縁関係があるわけだ。親子丼ってのは、親子の因縁に決着を付けるための舞台さ。骨肉の戦いを受け容れる器でしかねえのさ。

 器の上で開幕した千年血戦編を最後まで見届ける義務が俺にはある。それは、親子丼を「完食」することで達成されると俺は願ってやまない。

 

 

 

 

 

 

 

 四日目の親子丼も絶品さ。

 第一、今思えばだが、俺は四日目に到達しても「親子丼を四日連続で食べている」という意識がなかった。それほどまでに、親子丼は毎日の中で俺に新鮮なる感動、そして感動ともう一つ大切な何か…そう、感動を与えてくれる。親で子の、親子丼。俺は、この親子に生かされてるんだなって、感じるんだ。感じ入るんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 五日目、俺は失態を犯した。

 それは、ここにきて「五日連続で親子丼を食べている」ことを意識してしまったことだ。これには俺も頭を抱えたさ。嗚呼、どうして意識してしまったのだろう。苦悩したね。天才の苦悩ってやつ。苦悩の味ばかりで、五日目の親子丼の味は思い出せないね。

 

 

 

 

 六日目の朝の鶏の鳴き声が、断末魔にしか聞こえねえんだ。うちの近くに鶏を飼ってる家があるんだがよ、そこの鶏が朝の到来を告げるんだよ。俺には鶏の言語なんて理解できねえ。でもな、鶏の魂はなんだかほんの少しだけ理解できた気でいるんだ。だっておかしいと思わねえか?あいつはコケコッコーしか言わねえのに、俺たち人間はそれを耳にする度に「朝の到来」を感じるだろ?それってよ、言葉は分かんねえけど、鶏の何かしらを理解してやれてるってことなんじゃねえの?俺は、それが魂だと思うんだよ。親子丼の材料に「鶏の魂」なんてねえから馴染みはねえかもしれねえけどよ。でもよ、やっぱりあの断末魔を聞いちまったら、いてもたってもいられなくなったんだ。

 

 

 

 

 

 

 七日目。

 鶏はなぜ飛べないのかを、俺は考えるようになった。その答えには未だ行き着いていない。落ち葉が小川のせせらぎで流れていくのを目にすりゃ答えが分かるのか?樹からリンゴが地面に落下するのを目にすりゃ答えが分かるのか?人間も鶏も、空は飛べない。俺たちは、蒼穹を目にすることなく死んでいくという点では、同族なんじゃねえかな。ただ人間には「言葉」ってもんがあるから、なんとなく高次の存在に思えちまうけど、結局は一緒なんだと思う。

 

 

 悲しいよなぁ。

 俺も鶏も、空の蒼さを知ることなく死んでいくんだ。

 グランブルーファンタジーは、人間と鶏の夢なのかもしれねえ。だから俺は、リセマラを意味もなく続けるのかもしれねえ。そう、まるで叶わない夢に泣きつき続けるように…。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 1週間親子丼生活は、1月24日金曜日に終わりを迎えた。

 終わりを迎えたというか、はじまりを迎えたと言うべきなのかもしれない。

 

 

 

 この生活を通じて、俺は鶏に寄り添えた気がする。親子丼が美味かったとか美味くなかったとか、飽きたとか飽きなかったとか、そんなことは本当はどうだっていいんだ。

 

 

 

 

 本当に大切なことは、本能が抱きかかえてくれている。 

 本能を信じろ。俺たちの本能は、俺たちに忘れ物を届けてくれることがあるんだぜ。今、俺の本能には、俺の本能の両腕には、いっぱいの忘れ物が抱えられていることだろうさ。

 

 そうして今度は俺たちが、さながら、叶わない空の蒼さ忘れ物をお届けする宅配業者

 不在通知が、空の蒼さ溶けるか否か。

 それを知ることが、俺たちが生まれてきた”理由”。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ちなみに8日目の今日も親子丼です。