ばあたんとかいう無敵の存在
夏より冬の方が、圧倒的に消費する飲料水の量は多い。乾燥ゆえに。
この時期になると、常に喉の裏と表に小さい虫が這っているような感覚に見舞われる。口でめいっぱい息を吸うと、何本目かの足と長い触覚でチクチク痛む。無視できない痛み。
皆さん、おばあさまはご健在でしょうか?亡くなられているという方も少なくないでしょう。大丈夫です、そんな重い話をするわけではございません。
実は俺っち、先日祖母と電話でやり取りする機会がありました。しかも、こちらから電話をかけました。
普段は向こうから掛かってくる電話に出る以外、こちらから電話をかけることなど滅多にありません。大学生になってからは、夏休みと正月以外は会うこともなくなりました。住んでいる場所が遠く離れているので仕方ないですね。そこそこ長い河川でも一本で繋がっていないくらい遠いです。
実は、大学の授業の一環で祖母に話を聞くことになり、電話をしました。勿論母親を介して事前にアポは取ってあります。流石に愛しい孫息子でも、いきなり電話で話聞かせろと言われた日にはババア憤慨してもおかしくないですからね。誰の祖母がババアだ。
本当はこちらから質問させて頂いて、それに答えて頂くという予定でしたが、案の定予定通りにはいきませんでした。
というのも、うちの祖母、一つ聞いたら二万個返してくるくらいにはおしゃべりなんです。
今回は内容が内容だったので、雑談や世間話は一切ありませんでしたが、それを抜きにしても、まあ喋ること喋ること。
70歳をとうに過ぎていますが、流石の頭の回転の速さといったところでしょうか。
予定通りにいかなったというのは、予定を遥かに上回ったという意味です。
それに、ためになる話というか、身にしみるようなこともさりげなく言ってくれました。世界に一人だけの祖母の名言なので、ここで晒すことは絶対にしませんが、思わず感心してしまいます。
正しい年の取り方というのは、こういうことを言うんでしょうね。何というか、しわしわで黄ばんだ脳みそじゃなければ刻まれないような深くて粘りのある思慮といった感じでしょうか。
少なくとも、飯塚幸三とかいう、ハナクソみたいな老害とは天と地ほどの差がありますね。比べるのもおこがましい。
声だけ聞いたらおばあちゃんなんだけど、適切な言葉選び、間の取り方、論理的な話の組み立て方、どれを取っても遠く及ばないといったところ。天晴れ。
言葉に詰まるとか、独りよがりの笑いとか、そういう甘えは一切見せなかったです。一方孫息子の俺は、まあ言葉に詰まるし、独りよがりだし、安易な笑いに走るし、ボキャブラリーは貧相だしで、まだまだだなと感じました。
50年以上の年月の差はそう簡単には埋まりませんね。
基本的に老人は好きじゃないですが、祖母に関しては別格。何しても敵わなそう。腕相撲でも負けそう。
結果的に十分すぎるくらいに話は聞けたし、名言も拾えたし、話し方のイロハみたいなのも少し感じることができたし、電話して良かったです。
ちなみにこの祖母は母方の祖母なのですが、うちの母親もまあおしゃべりです。母親もなかなかやるなと一目置いてはいましたが、祖母と電話して分かりました。母親もまだまだです。
父親と祖父は反面、口下手ですわ。
俺はたぶん、おしゃべりと口下手のちょうどハイブリットと言ったところ。どちらかに傾倒できればカッコいいんですがね。頑張ります。
祖母、尊敬します。
死ぬところが想像できないので、たぶん死なないんでしょう。
ちなみに、タイトルにある「ばあたん」ってのは、祖母の愛称でした。