今年最後の記事を、後味悪く締めくくる。なぜ人間には「年を越さない」という選択肢がないのか
本日は訳あって、B君のパソコンから記事をお書きしております。何を隠そう、今仙台にいまして、体感割と久々に記事を書いております。
二日間に一本以上投稿するとはなんだったのでしょうか。まあ、それに関してはもう今年も終わるので許していただきたい。
さて、明日をもちましていよいよ2019年が終わりを迎えます。
2019年さんは皆さんにとってどんなお年でしたでしょうか。何色でしたでしょうか。
本日は、2019年最後の記事となります。明日12月31日はおそらく記事を書く気にもならないと思いますので。
書き納めとでもいいましょうか。本来はそんな大層なものでもないのですが、言葉の力で何とでも大層にしてやれます。明日12月31日の出来事は、一生語られることがないかもしれないのです。恐ろしいですね。そんなに恐ろしいか?
2019年は飛躍の年でした。嘘です。
2019年に、俺は見事21歳になりました。逆算で生年月日が繰り出されてしまう懸念を傍目に、簡単に今年を振り返ろうと思います。
といっても、今年も特段大きな出来事とかはなかったんじゃないかなという風に思います、個人的には。
5月に元号が変わりはしたものの、直接俺には関係ないしな。平成から令和になったところで、俺がむろくんから進化するわけでもございません。些か残念ではありますが、これが現実ってなもんで。
一番大きい出来事をあえて挙げるとするなら、やはりブログを始めたことでしょうか。俺の人生においては大したことではないですが、今この瞬間にブログの記事に書いていることを踏まえれば、ブログを始めた事実を語ることを避けては通れません。
ブログを始めたのは2019年9月1日。19年なので,9月1日に初投稿をしました。大嘘です。たまたま9月1日だっただけです。
ただ、これは本当に偶然なのでしょうか。偶然にしては、あまりに出来すぎているとは思いませんか?この初投稿の日付を偶然のままにするか、必然へと昇華させるかは、今後の俺のブログ活動に依存するでしょう。
かれこれ、4か月続けてきました。といっても、10月は3本、11月は9本しか投稿してないので、実質継続しているのは2か月ちょいでしょうか。9月は24本、12月は本記事を含め25本投稿しています。頑張りましたね。
ブログを始めた当初は毎日投稿できればいいと思っていたのですが、それは体力的にも時間的にも難しかったです。11月末からは毎日投稿を目指しましたが、2週間で断念。今は二日に1本以上のペースで書けるように頑張っております。
なので来年からは、月に最低15,6本書くことを目標にしたいと思います。来年の抱負ですね。
てか、今テレビでレコード大賞やってるんですけど、去年のMISIAの歌唱からもう1年経ったということですか?さすがに時が進むのが速すぎるのではないでしょうか。
そうそう、楽しいことをやっていると時間はあっという間に過ぎて,つらいことをしていると時間の経過が遅く感じる…なんてことがあります。でも、確かにその時はそう思うんですけど、後になって冷静になってその時のことを思い返してみると、時間の経過スピードって割と妥当だったりするんですよね。
だから、「今年は早かった」なんていうのはあり得ない。
それは、膝を痛めたかなんかで我々が圧倒的に進むのが遅かっただけ。来年の抱負は、「ソニックムーブ」ですかね。
今年は、周りとの差を思い知らされる一年でした。
というのも、大学生たるもの,3年生になると転換期に入ります。まず、サークルの活動が幕を閉じます。そして、就活とかいう大茶番劇が開幕致します。
周りの大学生は、サークル活動に区切りをつけ、就活に精を出しています。現在進行形で。
そのせいか、最近めっきりTwitterが過疎っています。大学入学したくらいからTwitterは過疎化の一途だったのですが、ここ半年くらいで拍車が掛かっております。
いよいよみんな、新しい世界への岐路に立ってしまっているようです。
回りくどい言い方をしてしまって申し訳ない。
簡潔に言うと、俺は来年、いよいよ「社会人」になります。嘘です。社会人になるのは再来年ですが、就活を終えなければならないという意味ではもう社会人になるも同然です。
嫌ですね。本当に嫌です。
本当に、マジで、溶けてなくなりたくなるくらい嫌です。なんでしょうか、この嫌悪感不快感は。
2019年の年末に俺に降りかかるのは、ただ不安ばかりです。本当に就職できるんだろうか。社会人として仕事に従事できるんだろうか。それ以前に、ちゃんと大学を卒業できるんだろうか。
また、どうしても周りが気になってしまいます。別に、俺以外の人間がどんな将来を迎えようと、俺には関係がありませんし、特に興味もありません(無論、あんまり不幸になってもらっちゃうと気が気でないですが)。
ですが、どうしても、実際に会って話をしたりするときや、SNSを通して、ほかの人たちの現状を知る機会に触れることがあります。その時に、なんか妙に不思議な気持ちになります。
こいつらは、なんでこんなに頑張れるんだろう。なんでそんなに未来に希望を抱けるんだろう。或いは、希望なんて抱いてなくて割り切って動いてるにしても、なんで割り切れるんだろう。
怒りすら湧いてきます。お前らなんやねん。
俺はただただ年を越すのが怖いです。センター試験を翌年に控えた年末でも、こんなに恐怖を覚えたためしはありません。
怖いのです。越してしまっていいのか。
越してしまうと、始まってしまうんじゃないか。終わってしまうんじゃないかって言った方が自然かもしれない。
もうすぐ目と鼻の先に、19と20のボーダーラインが見えていて、あとはそれを越えるだけ。
なぜ人間には、「年を越さない」という選択肢がないんでしょうか。
「あなたたちは先に行ってて、後から必ず追いつくから」
そんなアツい展開があったっていいじゃないですか。
なんなんですか、本当に。
年を越すのにパスはいらないんですね、悲しいかな。あえて言うなら「生きている」ことがパス。年を越すってのは、生きている人間に課せられた最高に最悪な宿命。
いい加減にしろよ、何が目的だ。
同じ西暦に我々人間を集めて、隔離して、何をしようと言うんでしょうか。
とまあ、ちょっと超越的な話になってしまって申し訳ない。
学生でも社会人でもない期間を2,3年くらい設けたいというのが俺の真の願望です。
学生であること、社会人であることを、この世界では余儀なくされます。このどちらでもない人間は、「はみ出し者」として世間から白い目で見られます。或いは万が一にそうでなくても、生きるために必要な「お金」的なものを得る術を失い、命をつなぐことも許されなくなります。
ある種、社会の一員になることが、この世界で生きるための最低条件となっているのです。
一度でいいから、本当の意味で独りになってみたいと思ったことはありませんか?
俺はあります。
ただまあ、今回もまた、みんな足並みそろえて馬鹿みたいに「年を越す」ことになるんでしょうね。