むろくんこそが、素敵でワガママ

むろくんこそが、素敵でワガママ

「読む」以外のことは何も考えないでください。

呼んでもないのに2020年さんが来た

 

 新年明けてしまいましたこと、誠に残念におめでとうございます。

 

 

 

 

 2020年の到来ですね。呼んでもいないのにやって来るあたりの図々しさは、西暦代々変わっていないようです。

 

 

 

 2020年と言われてまず最初に思いつくのはやはり東京オリンピック。今年の8月からいよいよ始まってしまうわけですね。なにやら色々とゴタゴタで本当に大丈夫なのかと不安になったりならなかったりですが、こういうのは大抵何とかなります。

 

 個人的にはオリンピックは好きですが、日本ではやってほしくないですね。人が増えるので。

 

 

 ただ、外国人と知り合えるチャンスです。グローバルに興味がある方は、積極的に話しかけましょう。俺はグローバルは火を通して食べるのをオススメします。

 

 

 

 

 

 

 

 本日1月3日。既に年が明けて3日も経っているのが意味分かりませんね。

 令和2年になるわけですが、令和元年は5月からの8ヶ月間しかなかったってことですよね?残り4ヶ月分をどこかで埋め合わせしないと令和元年が割り食うことになります。今年は、令和元年の気持ちになって考えることにしましょう。

 

 

 

 

 

 

 

 新年と言えば、お年玉。

 今年も例によってお年玉を貰うことができました。大学生のうちまででしょうか。だとすると、お年玉を貰えるのは来年の正月が最後ということになります。悔しくてたまりません。それまで貰えて当然だったお年玉が、ある年を境に突然貰えなくなるのです。ボス戦の前にセーブポイントがない時の絶望感に似ていますね。今時そんな無様なゲームはないでしょうけど。

 

 ただ、お年玉を上げることになるのはまだ先の話なのが幸い。俺の家系は、俺より年齢が下の人間が弟くらいしかいません。弟も僅か2歳下です。

 探せばいるんでしょうけど、探さないと見つからないようなヤツにお年玉なんかやる義理もありませんので、俺がお年玉を上げるのはしばらく先の話になりそうです。

 

 

 でもどうでしょう。お年玉を貰わず、あげない。そんなヤツ、その家の親族と呼んでいいのでしょうか。お年玉は親族の絆を保つための架け橋です、正直な話。その架け橋に関与しない人間は、一族のはみ出し者ではないでしょうか?悲しいですね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 今年の抱負、とかいうヤツが毎年話題に上がります。

 毎年律儀に抱負を立てているヤツがいますね。大抵こういうやつが立てる抱負は、非常に曖昧で抽象的なことが多く、何の意味もありません。まあ、結局は意識の問題なんでしょうけど、立てるからにはもっと具体的な抱負を立てろと、俺は声を大にして言いたい。

 

 

 そんな俺の今年の抱負は、「生きる」です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 最後に、悲しいお話をいたします。

 皆さん、正月に親戚の家を回ったりしたんじゃないですか?多分したと思います。

 

 

 

 俺もしました。と言っても、親戚がいないので、祖父母の家に行っただけですが…。

 

 

 

 

 

 昨日も父方の祖父母の家に挨拶に行ってきました。

 2年くらい前から祖父の方がかなりボケてきてしまっており、同じ質問を何度も繰り出されるという事態が発生しておりました。

 

 

 今年もそれは変わらず。5回くらい身長なんぼか聞かれました。

 もう年も年ですし、ボケてくるのは仕方ないことです。それに、祖父のボケは、怒鳴ったりヒステリックになったりするような手のかかるタイプではないので、そのたび律儀に質問に答えていれば何とかなります。

 

 

 ただ、正直面倒です。

 仕方ないんですけどね。

 

 

 

 正月とかにしか会うことはないので、俺が大人になって我慢して律儀に対応していくしかないことは分かっていますし、そうしているつもりです。ただ、僅かではありますがやはりフラストレーションは溜まりますね。

 介護疲れが問題になっているのがよく分かりました。大学でも介護について少しかじったことがあるんですけど、まさにって感じ。

 

 

 

 やっぱり、フラストレーションとかストレスは発散できる場所がどうしても必要だと思います。

 

 

 介護に限らず、そういうものを溜め込んでいる人がいれば、ブログなりTwitterなりで、ぜひ発散することをオススメします。こういう場で言葉や文字に起こすことで、気持ちがスッキリするということは実際あります。

 

 

 ストレスを溜め込んでいる人は、ブログかSNSを始めましょう。

 

 

 

 

 

 あと、父親と母親も年を取ったなぁと感じる。ボケたりとかは全然ないんですが、なんか丸くなったというか、おとなしくなった感じ。

 

 

 

 来たる年の瀬には、敵わないのですね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それから悲しい話題をもう一つ。これは年明けには関係ないのですが…

 

 

 

 

 

 最近、Twitterをやめようかと考えることが多々あります。

 Twitterに自分の居場所が無い…と感じることがあるのです。別にいじめられているとか、そういうことでもないんですけど。

 

 Twitterの世界観から、少しずつはみ出している気がする。むしろわざわざやめる必要の方がないんですけど、最近感じるんですよね。

 

 

 これに関してはまた別で記事を出すことになるかもしれません。

 まあ、どうでもいいですね。

 

 

 

 

 

 「新年最初の」記事は、非常にネガティブな締めくくり。

 でもむしろ、「新年最初の」とかいう面白くない枕詞に縛られてない感じがして、いいんじゃないでしょうか。

 

 

 

 

 俺は己に、こういう捻くれた感性を求めてる。

 

 

 

 

 

 今年は366日あるので、最低183本の記事を投稿することを目標に頑張ります。

 

 

 今年もよろしくお願いいたします。