むろくんこそが、素敵でワガママ

むろくんこそが、素敵でワガママ

「読む」以外のことは何も考えないでください。

【閲覧注意】身体的なコンプレックスをぶっちゃける(必須アイテム:勇気)

 

 今回の記事の内容は、非常にネガティブでデリケートで生々しい内容となっております。閲覧注意です。

 

 

 

 

 

 

 皆様、自分のこと、どう思ってますか。まあ、皆様のことに大して興味はないんですけど。

 

 

 

 自分にコンプレックスを抱いている人は多いと思います。というか、それが普通です。コンプレックスのない人間は信用できません。例えば学歴コンプレックス。いいじゃないですか。学歴コンプレックスって叩かれますけど、私は嫌いじゃないですよ。むしろ、ふわふわ生きてる人間なんかよりよっぽど立派だと思いますわ。

 

 

 

 

 今回は、私の身体的なコンプレックスをぶっちゃけます。どのくらいの人がこの記事を目にするのか分かりませんが、書くのに勇気がいりますね。自分のマイナス要素を曝け出すわけですから。裸でインターネットの海を漂流しましょう。

 

 性格とか、そういうところの欠陥って、ぶっちゃけ見ただけじゃ分からないし、いくらでも隠し通せると思うんですよ。でも、見た目とか、肉体的な部分で劣る要素ってのは、基本的に隠せない。隠してもバレる。例えバレなかったとしても、自分自身で嫌になるってパターンも多い(ここ重要)。んで、それを失敗や無気力の理由にするんだね。わかるわかる。

 

 

 

 

 早速いこう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

①筋肉がつかない/つきにくい

 

 

 まずはこれ。

 文字通り、筋肉がつきにくいってやつね。

 

 身長169cmに対して体重が52,3kgしかないところを見ると、明らかに筋肉が足りないのは自明ですね。筋肉は脂肪に比べて遥かに重いらしいです。

 

 

 

 私の身体は、いわゆる「ヒョロガリ」と揶揄されるタイプの体型です。

 ただ、こういう人は生まれつきそういう体質です。断言します。

 

 

 

 よく、「筋肉がつかないのは飯を食わないからだ!」と喚き散らすバカがいますが、「筋肉がつくほど飯を食えない体質」なんですよ。分かります?要は胃の容量が小さくて飯が入らないってこと。

 

 

 勿論、本人の努力次第で多少の筋肉をつけることは可能かもしれません。私も中学時代に部活をやったら多少筋肉がつき、体重も増えました。が、それはあくまで多少の話。普通の人間であれば、同じ運動量でももっと筋肉がつくんだろうなぁって感じです。こればっかりは本当に体質だと思ってます。

 

 小学校の時点で、体格差ってだいぶ明るみになりますよね。それってつまり、生まれた瞬間から体型体格はある程度決まってくるってことでしょう?同じ小学校に通ってる時点で、経済格差による食べている物の差なんて殆どないわけですから。

 

 

 年を取っていくにつれて体格が変わるパターンもあるみたいですね。子供の頃痩せてた人が、30を越えて突然太り出すとか。

 

 

 

 

 

 ちなみに、私は女性的な体格に近いみたいです。169cm52,3kgですが、ローレル指数は結構高いです。高校1年生時点で15パーくらいありました。今は分かりませんが。女性は男性に比べて脂肪が多いですから、それに近いんですね。

 

 

 

 

 

 

 

 

②歯並びが悪い

 

 

 

 これも致命的な弱点。まさに、持って生まれた体質の典型ですね。

 歯並びは人の優劣を決めます。間違いなく。残酷ですが、間違いなく。

 

 歯並びって、顎の大きさで決まるところがあるみたいです。私は、顎がシャープで細いタイプです。顎に対して歯が大きいので、自然と歯並びが悪くなります。私の場合は、特に上の歯が酷いですね。上の前歯6本。

 

 歯並びが良い人は本当に羨ましいです。マジで。これはマジで。

 生まれつき歯並びが良い人って、自分がどれだけ幸運で有利なのか分かってないですよね。腹立たしいくらい。

 

 

 

 

 ただ、歯並びに関しては矯正によって改善することが可能です。

 子供の頃に矯正しておくのが一番良いですね。これに関してはもう親の判断に任せるしかないですが。よく、「歯並びで育ちの良さが分かる」といいますが、一理あると思います。勿論、それだけで育ちの良さが決まるとは思いませんが。

 私の場合は、親が矯正させるという判断を取らなかったケースですね。別に親を恨んでいるわけでもないですが、判断としては失敗だと思いますね。

 

 歯並びは矯正できると言いましたが、莫大な費用と時間がかかります。最低20万円くらいはかかるのかな。酷いと100万とか平気でかかるみたいです。時間も、最低2年くらいはかかるんでしょうか。そんでもって、歯列矯正は保険が効きません。10割負担になります。意味が分かりませんよね。これに関しては本当に殺してやりたいくらい意味が分かりません。

 

 

 歯並びは人生を左右します。

 私も、就活が終わり次第矯正します。まあ、就活が終わるかどうかは別問題ですが。

 

 

 

 

 

 

 

 

③髪が薄い/少ない

 

 

  これもガチなやつ。個人的には一番ネックな部分。

 歯並びと同じ、完全に生まれ持った体質。運要素100パー。更に、歯並びと違って治療が殆ど不可能という念の入れよう。

 

 

 

 たぶん、私とある程度関わりを持っている友人らは、気付いているんじゃないでしょうか。見たら分かる部分ってありますからね。

 

 

 

 私の場合、まず、髪の毛が生まれつき細いです。母親に似ました。女性は基本、男性に比べて体毛が薄いですから、そういう感じなんでしょう。いわゆるAGAと呼ばれる男性ホルモンが原因の薄毛とは違うのかな?診断してもらったわけでもないので分かりませんが…。

 

 

 生まれつきです。若い頃はフサフサだったのに…というタイプではなく、生まれつき細いです。おでこも生まれつき広いです。これも母親に似ました。寝る前に化粧水を塗るために前髪を上げた母親を見ると、俺に似てるなぁってひしひしと感じます。

 

 

 

 よく、「周りの人はそんなに気にしてないよ」って話を聞きますが、そんなこと、誰が信じるんでしょうか?人間に希望を持ってはいけません。どんなに気心の知れた人間でも、心のどこかで意識しているはずです。これは当事者にしか分からない感覚です。

 

 

 髪型も変えられません。私は中学生くらいから髪型が殆ど変わっていません。髪で遊ぶことを許されないんですね。芸能人とかで、しょっちゅう髪型を変えたり髪色を変えてる人を見ると、単純に羨ましいです。髪型は個性や第一印象を決める重要な要素ですから、それを変えられないってのはかなりのハンデですよね。

 

 

 後は、よくある薄毛いじり。「あれ?ハゲてね?」とか、「薄くなった?」とか、平気で口にする人間がいますね。まあ実際、私も人並み以上に髪の毛がしっかりしてれば同じように口にしちゃうと思うので気持ちは分かります。が、私は絶対人の薄毛をいじらないように心がけています。

 

 

 明確な治療法も、今のところはないです。これだけ医療が進歩しても確立されないくらいエグい問題なんですね。

 髪の毛問題は、生まれ持った体質界では最も厄介と言えるでしょう。

 

 

 

 

 

 

④一重まぶた

 

 

 

 これも大いなるコンプレックスの一つ。

 歯、髪、目は、三大コンプレックスと言っていいんじゃないでしょうかね。

 

 これも整形でどうにかなりますが、整形は所詮整形です。ナチュラルには敵いません。

 

 

 

 

 一重まぶたって、単純に見栄えが悪いですよね。目つきも悪くなるし、写真写りも悪くなります。

 二重と一重の間には、圧倒的な人権の差が生じます。間違いなく。

 

 

 

 女性の場合、化粧でなんとかなりますが、男性の場合はそうもいきません。

 私は生まれつき一重です。中学生の頃から一重まぶたにコンプレックスを抱くようになり、色々な方法で二重にしようと頑張りました。健気ですね。ですが、結果は殆ど変わってません。

 試行錯誤すれば二重になったり、後天的に自然に二重になるパターンもあるみたいです。要は、完全に運ゲーってことですね。

 

 

 一重まぶたでも、涙袋がある人は大丈夫です。私の場合は涙袋すらありませんので、一体どこに涙が蓄積されているのやらって感じですね。

 

 

 二重まぶたの人間は、己が幸福であることをもっと認識して欲しいですね。二重に涙袋まである人間は、これはもう上級国民です。

 

 

 

 

 

 

 

 

⑤平安顔

 

 

 

 これは顔面のトータル評価ですが、私はいわゆる平安顔です。のっぺりとしてるタイプ。分かりやすいところで言うと、浅田真央さんみたいな感じですね。女性の場合は「平安美人」と無理にもてはやされるパターンがありますね。本当にかわいそうです。

弥生顔と呼ばれることもあります。

 

 基本的に、顔の凹凸がありません。また、顎が長く、面長です。これに、薄毛と歯並びの悪さがドッキングするんですよ?地獄では…?

 

 

 

 

 

 

 

 

⑥日焼けできない

 

 

 

 

 これは人によっては羨ましがられるパターンもありますね。ですが、個人的には結構悩みどころです。勿論、上の5つに比べればだいぶマシですが。

 私は、いわゆる日に焼けてもすぐに赤くなっちゃうタイプ。

 

 

 

 

 

 

 

⑦声がこもっている/無個性

 

 

 

 上記6つとは少し性質が違いますが、これも立派な身体的特徴です。

 声ってのは、かなり重要な要素だと思います。

 

 私の声は、非常にこもっています。通らないタイプの声って言うんでしょうか。大きい声を出すと、聞いてる側が恥ずかしくなるやつですね。

 

 また、個性がありません。

 声って言うのは、個性が大事なんです。

 

 世間一般に言われるイケボってありますよね。あれは、イケボだからもてはやされるわけではなく、イケボという「個性」があるからもてはやされるのです。

 例えば、性別関わらずに声がハスキーな人っていますよね。ちょっと掠れている人。こういう声って、皆さんが思う「イケボ」ではないですよね。でも、声がハスキーな人って言うのは、歌がうまいと言われています。有名どころで言うと、Official髭男dismの藤原、ASKA、ワンオクのTaka、ミスチル桜井、椎名林檎、Superfly、マライア・キャリーなんかが典型ですね。この人達の地声はものすごくハスキーで、「イケボ」とはほど遠いです。が、「ハスキー」という個性が武器になります。

 

 あとは、低音ボイス。声優の大塚明夫とか、コブクロの黒田とか、麒麟の川島とかですね。これはイケボって呼ばれることもあれば呼ばれないこともありますが、個性です。

 

 地声が低い女の人も、個人的に好きです。本人は嫌がっているパターンが多いですが、私は素敵だと思います。

 

 

 

 私の声は、個性がないです。高すぎず低すぎず。でもちょっとこもってる。

 さらに、歯並びのせいで滑舌もあんまり良くないし、早口なので最悪です。死にたいです。

 

 

 

 

 

 

良き点 

 

 さて、ここまで7つのリアルなコンプレックスを上げてきました。均衡を図るために、自分の身体の良い点も2つ挙げておきましょう。

 

 

 

 

 

 

①手がキレイ

 

 これは本当に親に感謝です。私は手がキレイです。最初は自覚がなかったのですが、ことあるごとに手の美しさを褒められて自覚するようになりました。

 

 

 

②顔が小さい

 

 あと、一般男性に比べて顔が小さいです。小さめサイズのマスクを使えることが、私の優越感です。

 

 

 

 

 

 

 

最後に言いたいこと 

 

 さて、今回は非常に生々しい記事となっていましたが、如何でしたでしょうか。共感してもらえる部分もあったりしたんじゃないでしょうか。

 

 体格、歯、髪、目、肌、声…。肌と声に関しては、人によっては魅力的に感じてくれるパターンもありえますが、他は明らかにマイナス要素です。それに、結局のところ身体的なコンプレックスっていうのは、人がどう思うかよりも自分がどう感じるかが重要なんですよ。コンプレックスってそういうもん。

 

 

 

 中には、お金や時間をかけて努力をすれば改善できるものも多少はあります。が、努力しなければいけない時点で大きなデメリット/ハンデであることは変わりありません。

 

 

 見た目は、中身よりも大事だと思います。最終的には中身だと思いますが、スタート地点は見た目ですからね。

 

 見た目は、「他人のためにあるものなのに、自分がどう思うかが重要」な点で厄介です。結局、他人と自分の感覚や考えの丁度良いところを見つけないと、妥協して安心することができません。本当に厄介ですね。

 

 

 

 

 

 人間は平等ではありません。

 人生は運ゲーです。

幕末志士は大学生活を救ってくれました【活動終了】

 

 人気ゲーム実況者・幕末志士の二人が、このたび12年間の活動に幕を下ろすことになりました。

 

 

 

 12年かぁ、長いようで短いような気もします。

 

 

 

 

 

 幕末志士のことを知らない方のために、少しだけ彼らのことを説明しておきましょう。

 

 幕末志士は、ニコニコ動画を中心に活動する二人組実況グループ。多弁でワガママな坂本龍馬と、温和で天然な西郷隆盛の、二人の幼馴染みから構成されています。12年前にニコニコ動画にて実況活動を開始し、2015年には有料のユーザーチャンネルを開設し活動を広げました。特徴的なのはなんといっても、「途切れることのない掛け合い」「ゲラ」「バグ」。唯一無二の実況者として数々の動画をヒットさせました。

 

 

 

 名前だけでも聞いたことある人が殆どなのではないでしょうか。いわゆる、ゲーム実況界では古参と言われる方でしょうか。今でこそYoutubeを中心にゲーム実況者が腐るほど存在していますが、12年前当時は、ゲーム実況界はまだまだ未開拓でした。そんなゲーム実況界に新風を巻き起こした先駆者の二人と言ってもいいんじゃないでしょうか。

 

 

 

 

 そんな二人が、このたび活動を終了することになりました。

 昨日5月2日のYoutubeでのゲーム配信がラストとなりましたね。

 

 

 

 なぜ活動を終了することになったのか、ですが…。

 

 簡単に言うと、二人の歩幅が合わなくなってきたからであると本人達は説明します。幕末志士チャンネルが開設されてからの5年間(特にこの2年くらい)、西郷隆盛はいわゆるスランプ状態に陥っていたようです。

 

 実は、チャンネルで行われる生配信では、従来のゲーム実況をやるだけではなく、西郷隆盛が持ち寄った企画で盛り上がったり、幕末志士に関わっているクリエイターが作ったゲームをプレイしたりするというようなことも行われてきました。

 チャンネル活動は会員の会費で成り立っている部分もあるので、そこでのプレッシャーもあったんじゃないでしょうか。二人だけで楽しくゲームをしていればいい…というわけにもいかなくなったのでしょう。西郷隆盛は思い詰め、ノイローゼになってしまったようです。

 

 まあ、5年もやってればネタも尽きてくるだろうし、疲れも溜まってくるでしょう。彼らも今年で35歳(推定)ということで、もうそろそろ体力が衰えてくる頃です。そういった肉体的な疲労も祟ったんじゃないでしょうか。

 

 あと、これは活動終了と直接関係してるかは分かりませんが、彼らはこの5年間でいわゆる「身バレ」と戦っておりました。会社の人間にいじめを受けたり、度が過ぎたリスナーに家凸をされたり、しまいには裁判沙汰になったりしました。そういったところへの不安やストレスも、回り回って活動終了の一因になったと考えます。

 ただ、坂本龍馬の口から発せられることの8割は嘘(または脚色)なので、どこまで本当なのかは分かりませんが…。

 

 

 

 

 

 

 

 

 さて、では私自身と幕末志士の繋がりを、少し書かせてください。

 

 私が幕末志士を最初に知ったのは、2009年頃だったと思います。11年前、小学5,6年生の頃ですね。動画のナンバリングで言うと、『奴が来る』の第一作二作が投稿されたあたりだったかと思います。

 

 友人にすすめられて見始めたのがきっかけです。ちょうどその頃が、私がインターネットに足を踏み入れた頃と重なります。それまでニコニコ動画というものを利用したことがありませんでしたが、幕末志士をきっかけに利用することになりました。

 

 

 

 幕末志士の『奴が来る』を初めて見た時のことは、未だに覚えております。

 とにかく笑ったのがまずはじめ。それこそ、当時はゲーム実況というものの存在を知らなかったし、この『奴が来る』がゲーム実況というカテゴリーに属しているものであるということも当然知りませんでした。

 ただ、純粋に笑えましたね。

 

 

 それから、「ゲームには色々な遊び方がある」ということを教えてくれたのも『奴が来る』でした。

 『奴が来る』は、フィールドに隠された1UPキノコ(通称:緑の悪魔)から逃げながら赤コインを8枚ゲットする、という趣旨の動画になっています。今で言うところの縛りプレイに分類されるんでしょうかね。

 

 当時スーパーマリオ64をあんな風に遊ぶなんて考えられませんでした。実は私、兄が持っていたスーパーマリオ64のDS版をプレイしていたので、ゲームのことはよく知っていました。だからこそ、衝撃を受けたのかもしれません。

 

 

 

 あとは、言葉のチョイスとか、ワードセンスにも感銘を受けていました。

 『BLEACH』や日本語の歌詞に影響を受けた私ですが、やはり言葉というものに惹かれやすい模様。坂本龍馬の独特な言い回しや、西郷隆盛の斬新な切り返しがとにかく新鮮で面白かったんだと思います。

 

 

 

 最初に見たゲーム実況動画が幕末志士の『奴が来る』だったおかげで、未だに他の実況者では満足できない部分があります。こういう人は意外と多いと思います。

 

 

 

 

 

 そして、2014年にスマブラ64』が投稿されます。言わずと知れた伝説のゲーム実況動画ですね。現時点での再生回数は脅威の1678万回です。ゲーム実況史に残る傑作と言われてますね(言われてる?)。

 

 恐らく、私が生まれて22年、人生で一番笑った映像作品だと思われます。なんというか、完璧な動画だなと感じています。流れというか構成というか、盛り上がり方とかテンポとかオチとか…。勿論、何百回もプレイしてやっと撮れた奇跡の動画でしょうから、もう二度と同じような動画を撮ることはできないでしょうね。

 

 

 

 

 その後、ユーザーチャンネルが開設されます。私は大学に入学してから会員になりました。といっても、毎月毎月会員をやっていたわけではありません。平均して年に3,4ヶ月くらいでしょうかね。あんまり覚えてませんが…。

 チャンネルでは、ゲーム実況だけでなく、二人の昔話やくだらない雑談が聞けます。これがまた面白いんですね。チャンネル動画や生放送の内容はお金を払って見るものなのでここでは詳細は省きますが、興味のある方は今からでも会員になってみてはいかがでしょうか。

 

 ちなみに、チャンネル生放送のアーカイブは、随時Youtubeにも上がって今後無料で閲覧することができるようになるそうです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 私も細々とゲーム実況動画を上げさせてもらっています。どうしてもゲーム実況者で食っていきたい!みたいな志はないので、別に幕末志士に憧れてゲーム実況者になったわけでもないのですが、少なからず影響を受けているのは確かでしょう。一度、友人に「話し方が幕末志士っぽい」と言われたことがありました。意識しているわけでも真似をしているわけでもないのですが、動画を見すぎて移っちゃった可能性はありますね。

 

 ただ、Youtubeニコニコ動画のような、いわゆる「動画」というコンテンツに触れるきっかけは間違いなく幕末志士だったと思います。それこそ11年前は、動画投稿サイトというものがまだ世に浸透していなかった時代ですからね。今でこそ市民権を獲得したYoutuberなんかも、当時はまだ影も形もありません。ニコニコではボカロなんかも大流行してました。いい時代でしたね。

 

 そして、今や「動画」は世界中で必須のコンテンツみたいになりましたよね。Youtubeに関しては、もはや生活必需品と言っても過言ではないです。彼らがその先駆けであったことは間違いありませんが、運良くその先駆けに乗じることができたのも幸運でした。

 

 

 

 

 

 

 

 何より、私は個人的に幕末志士にとても感謝しております。

 なんでかって、大学生活中に命を繋いでくれたものの一つだからです。私の大学生活を救ってくれたのは、Twitterと、もう一つは幕末志士です。

 

 私は大学入学から今の今まで、大学生活を全く楽しめておりません。友達も出来ず、大学にも馴染めず、独り暮らしで心細く、この4年間は本当に大変でした。当然、一人で家にいることが圧倒的に多かったです。

 

 

 そんなとき、家で幕末志士の動画を見るのが日課となっていました。時間を忘れて笑うことが出来る。同じ動画を、台詞を覚えるくらい何回も見ました。ゲームをしながらラジオ感覚で動画を見たり、ご飯を食べながら生放送を見たり…。

 家での憂鬱な時間を乗り越えることが出来たのは、幕末志士のおかげですね。

 

 

 

 

 

 感謝申し上げます、幕末志士様。

 

 

 

 

 

 

 今後、幕末志士を越えるゲーム実況者は現れないんじゃないかと思っています。

 12年間、お疲れ様でした。

 

 ニコイチ、センキュー!!!!

 

コロナウイルスの影響で私の生活は変化したのか

 

 寝落ちしたことを後悔しないくらいの時間があるのに、それも大好きな家の中での時間なのに、夕飯時が訪れるのを心待ちにしている毎日です。食べることに最高の幸福を抱いているわけではありません。でも、食べた瞬間に最高の幸福を感じて寝落ちする毎日を送っていることは事実でございます。夕飯は、一日を生き抜いた自分へのご褒美でしょうか。だって有り余るくらいの幸福を感じるんですもの。「生きてて良かった」を、こういう時に使える人間になれるといいんですかね。

 

 

 新型コロナウイルスの影響で、外出自粛要請が出され、不安と退屈のサンドウィッチになっている人類です。皆さんの生活はどのように変化しましたか。そもそも、これまでも如何様にも変化しそうな生活を送っていたんじゃないですか?

 

 

 私は「変化」を嫌います。だから、今回の外出自粛も嫌ってるかって、そんなことはございません。なぜならば、外出自粛要請が出ようと、緊急事態宣言が出ようと、コロナウイルスの影響で人が死のうと、私の生活はほとんど「変化」していないからです。

 

 

 こんなことを言ってしまうと、不謹慎だと感じる方もいるでしょうが、私はコロナウイルスサンキューと感じてしまうことが結構あります。出不精の私からすれば、外出自粛要請や緊急事態宣言が出たことで、ようやく世間が自分の生き方に追いついてきたな、って感じです。

 

 

 勿論、恐怖はございます。一蓮托生に相応しい相手が見つかっていない今この瞬間に、肺炎で死ぬのは我ながら少し惜しい。ただ、「生きること」が人生において「死ぬこと」の次に難関であると考える私にとって、それを脅かすコロナウイルスの存在は、少しの感謝を抱くべき存在なのかもしれません。難関は、避けて通れるなら通りたいですものね。

 

 

 

 買い物はしていますか。している方が殆どでしょう。

 私もしています。買い物のペースは、一切変わっておりません。二日続けてすることもあれば、一日おきの時もあれば、二日おきの時もあるでしょう。その日の己の空腹と眠気の対決の結果次第で、週の買い物回数は変わってきます。

 

 それ以外の外出は、しておりません。散歩もしておりません。電車やバスに乗るなど愚か。誰かに会うようなこともありません。

 

 

 現在就活生ですが、就活は家の中でもできます。というか、家の中で就活をすることを強いられる現状です。私としてはむしろ好都合ですね。

 

 

 

 

 

 

 ところで、目に見えないウイルスが蔓延しているということを念頭に置いたときに、いつもより空気が心なしか濁って見えることはありませんか。それは間違いなく気のせいであることは自明です。メガネの汚れでしょうか。網膜に傷が入っているのでしょうか。

 例えば隣の家の屋根がくすんで見えたり、土の色が歪んで見えたり。無意識のうちに息を止めている可能性も無きにしも非ずですね。

 

 

 

 危機感や恐怖が、肉体を支配していることをひしひしと感じさせてくれます。「生きること」を脅かす要因が、目と鼻の先にあるような感覚に陥るんですね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 とまあ、変化を許さない私の生活ですが、変わったことが二つだけあります。

 

 

 カーテンを開けたまま夜中を迎えてしまうことが多くなりました。

 それから、パソコンの電源が一日の節目を教えてくれることがなくなりました。

 

 

 

 

 一つずつ、ご説明致します。

 

 

 私、夜6時にはカーテンを閉めるようにしています。理由はと申しますと、外の暗さが室内の明るさを浮き彫りにするからです。私の理想は、「この部屋には誰も住んでいない」と思わせることです。もっと言うと、「この部屋には誰も住んでいない」と、自分自身に誤認させること、です。

 ですが、コロナウイルスの影響で外に対して違和感を持つようになってから、カーテンを閉めることがなくなってしまいました。なぜでしょうか。

 

 

 

 

 もう一つ、パソコンの電源の件。

 基本的に私、夜寝る前はパソコンの電源を落とします。逆に言うと、一度付けたら寝るまでは電源を付けたままということですね。使っていない間は、電源を切らずにパソコンを閉じます。そして、寝るときになって電源を落としたときに、否が応でも一日を終わらせるんですね。パソコンの電源と己の意識が連動していることを信じないと、眠ることが出来ない……眠れない大学生の生き様でございますね。

 

 これが、生活リズムの狂いによってパソコンの電源を落とさずに寝落ちしてしまうことが増えてしまいました。つまり、私の一日が終わらないまま、私の一日が終わってしまうということです。これは由々しき事態でございます。取り返しの付かない事態でございます。

 

 

 

 

 

 

 明日もお腹は空きます。

 

Birthday/Mr.Children 歌詞解釈勝手に

 

 今回はミスチル『Birthday』の歌詞解釈に着手したいと思います。

 

 ご存じ、『映画ドラえもん のび太の新恐竜』の主題歌となっている今回の楽曲。テレビアニメ40周年記念映画に、ミスチルを起用するあたりに本気度合いを感じますね。ただ今回は残念ながらコロナウイルスの影響で映画の上映が先送りされてしまいました。残念でございます。

 

 

 この記事の歌詞解釈は、俺の個人的な解釈であり、正解も不正解もありませんので、それをご了承できる方のみ閲覧していただけるとありがたいです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

全体として

 

 

 

 

 

 

しばらくして気付いたんだ 本物だって

熱くなって 冷やかして とっちらかして

シャボン玉が食らったように はじけて消えんじゃない?

そう思って加速度を緩めてきた

 

君にだって2つのちっちゃい牙があって

1つは過去 1つは未来に 噛みつきゃいい

歴史なんかを学ぶより 解き明かさなくちゃな

逃げも隠れも出来ぬ今を

 

It's my birthday

消えない小さな炎を

ひとつひとつ増やしながら

心の火をそっと震わせて

何度だって 繰り返すよ

そう いつだって It's my birthday

 

「否定しか出来ないなんて子供だしね」って

期待された答えを吐き散らかして

無意識が悟った通り 僕は僕でしかない

いくつになっても変われなくて

 

It's my birthday

飲み込んだ幾つもの怒りを

ひとつひとつ吹き消しながら

風に乗って希望へひとっ飛び

やがて素敵な思い出に変わるよ

そう いつだって It's my birthday

 

It's your birthday

毎日が誰かのbirthday

ひとりひとり その命を

讃えながら今日を祝いたい

そして君と 一緒に歌おう

いつだって そう

It's my birthday

消えない小さな炎を

ひとつひとつ増やしながら

心の火をそっと震わせて

何度だって 僕を繰り返すよ

そう いつだって It's my birthday

そう いつだって It's your birthday

 

 

 

 

 

 

 タイトルの通り「birthday=誕生日」がテーマとなっている今回の楽曲。実は今回のドラえもんの映画は、「恐竜の絶滅」が結構関連しているっぽくて、「誕生」と「絶滅」のコントラストになっているのかなとまず最初に考えました(映画を見たわけでもなく、予告の映像を見た限りで考えたことですが)。

 

 歌詞の中にも、誰しも年の数だけ経験してきた「誕生日」に関連するワードが散見されていて面白いです。一つ一つ読み解いていきましょうや。

 

 

 

 

 

 

 

 

1番Aメロ①(それまでの「僕」の生き方)

 

 

 

 

しばらくして気付いたんだ 本物だって

熱くなって 冷やかして とっちらかって

シャボン玉が食らったように はじけて消えんじゃない?

そう思って加速度を緩めてきた

 

 

 

 

 

 

 はい。この歌詞の1番のAメロは、サビに入るまでの布石となっています。この歌の主人公の今までの生き方や考え方を歌っていると感じました。

 

 

 「しばらくして気付いたんだ 本物だって」

 いきなりなんだか難しい感じです。「しばらくして」というのは、「大人になってから」というニュアンスを感じました。人間は年の数だけ誕生日を迎えますが、自分の生き方とか他人の生き方について考えるようになるのって、20年くらい経ってからですよね。俺も、現在21歳ですが、本当に人生について色々と考えます。

 

 21回目の誕生日でようやく考えて、気付くようになった(俺の場合)という意味で、「しばらくして」というワードをチョイスしています。

 

 

 

 「本物だって」

 これが本当の自分なんだ、ってことでしょうか。「本物」というチョイスがミスチルっぽくていいですね。なんというか、生々しさが出ています。

 

 

 

 

 「熱くなって 冷やかして とっちらかって」

 それまでの人生の葛藤を描いているのでしょうか。「熱くなって」には、無我夢中、怒り、喜びのニュアンスが、「冷やかして」には、悲しみ、困惑のニュアンスが含まれていそうです。そう言った色々な感情が「とっちらかって」いたのでしょう。

 

 

 「シャボン玉が食らったように はじけて消えんじゃない?」

 ミスチルらしさ満載の歌詞。

 そう言った色々な感情の一つ一つを、宙を舞うシャボン玉に喩えていると考えました。シャボン玉がとっちらかると、シャボン玉同士がぶつかり合って、消えてしまいます。

 「消えんじゃない?」というのは、「この先、もしかしたら消えるかもしれない」と未来の事を表現しているのでしょう。

 

 

 「そう思って加速度を緩めてきた」

 この先、もしかしたら消えるかもしれないから、少し落ち着いて物事を考えてみようよ。そういうニュアンスを感じました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

1番Aメロ②(「過去」や「未来」よりも大切なもの)

 

 

 

 

君にだって2つのちっちゃい牙があって

1つは過去 1つは未来に 噛みつきゃいい

歴史なんかを学ぶより解き明かさなくちゃな

逃げも隠れも出来ぬ今を

 

 

 

 

 

 

 最初は「自分」のことを歌い、次に「君」のことを歌います。

 曲の終盤の「It's my birthday」と「It's your birthday」にも同じような手法がとられていますね。

 

 

 「2つのちっちゃい牙があって 1つは過去 1つは未来に 噛みつきゃいい」

 最初にシャボン玉が消える未来を想像した主人公。ですが、「加速度を緩めて」少し冷静になると、未来を想像することよりも大事なことがあると気付きます。

 

 「僕」にも「君」にも、小さいながらに過去や未来に噛みつくことができる牙があり、不満や不安があったらいつでも噛みつけるじゃないか、というニュアンスで、「未来」や「過去」よりも大事なものがあると歌っています。

 

 では、その大事なものとはなんでしょうか。答えは次の歌詞にあります。

 

 

 

 「歴史なんかを学ぶより解き明かさなくちゃな 逃げも隠れも出来ぬ今を」

 「消えんじゃない?」と「未来」のことを考えたり、「歴史なんかを学ん」で「過去」のことを考えたりするよりも、「逃げも隠れも出来ぬ今を解き明かさなくちゃな」と、「今」の大切さをここで歌い、サビに入ります。

 

 いよいよ、「birthday」の登場です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

1番サビ(誕生日ケーキのロウソクの火になぞらえて…)

 

 

 

It's my birthday

消えない小さな炎を

ひとつひとつ増やしながら

心の火をそっと震わせて

何度だって 僕を繰り返すよ

そう いつだって It's my birthday

 

 

 

 

 来ました。

 

 

 「消えない小さな炎を ひとつひとつ増やしながら 心の火をそっと震わせて」

 この歌詞を見て、気付いた方もいるのではないでしょうか。「消えない小さな炎」というのは、自分の中にある意志や信念やプライドのようなものを歌っているのだと思うのですが、俺は「誕生ケーキのロウソクの火」になぞらえているんじゃないかと考えました。

 

 誕生日にケーキにロウソクを立てて火を付けて、電気を消して息を吹いて火を消す。そんな経験、たぶん誰しも一度はあるはずです。

 

 

 「小さな炎を ひとつひとつ増やしながら」というのは、毎年毎年、年を取ってケーキに刺さるロウソクの数が増えていくことをまず表しています。しかし、「消えない」という形容詞があるように、年々増えていく自分の中の信念や考え方は、決して消えることがないとも歌っています。

 

 「心の火をそっと震わせて」

 年を取るごとに増えていくロウソクの火。それらが一つになって、心の火となり、その火を震わせて自分らしく生きていこう!という歌詞ですかね。

 

 

 

 

「何度だって 僕を繰り返すよ」

 良い歌詞ですね。誕生日は毎年やってきて、そのたびロウソクの数は増えて、火も大きく(あるいは多く)なっていきます。しかし、何年経とうが僕は僕のまま。

 去年よりも一本増えたロウソクの火、来年はもう一本増えるかもしれない。でもそんなことはどうでもよくて、何年経とうが自分が信じた今の自分を繰り返していきたいと、そんなポジティブな歌詞になっています。

 

 

「そう いつだって It's my birthday」

 その瞬間、「今」というその瞬間瞬間、そのたびごとに新しい自分が生まれているんだ、ということを歌っていると考えました。これは年に一度の誕生日になぞらえた歌詞ですが、自分自身は「今」という一瞬で変わり続けているんだという意味で、「いつだって」と歌っているのでしょう。そういう意味でも、「過去」や「未来」なんてどうでもいいんでしょうかね。

 

 ちなみに、「いつだって」と「It's my birthday」で韻を踏んでいます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2番Aメロ(僕は僕でしかない)

 

 

 

「否定しか出来ないなんて子供だしね」って

期待された答えを吐き散らかして

無意識が悟った通り 僕は僕でしかない

いくつになっても 変われなくて

 

 

 

 

 「「否定しか出来ないなんて子供だしね」って」

 他人や世の中のことを否定することは、好ましくないことだとされています。「自分はそうは思わない」とか、「何がいいのか分からない」とか、そんな風に思うことが誰しもあるでしょう。俺もあります。めちゃくちゃあります。

 

 否定ばかりしていると、「子供」扱いされたりすることもありますね。要は、「否定することを否定する」みたいなことですよね、これって。

 

 

 

 「期待された答えを吐き散らかして」

 子供扱いされるのが嫌だから、周りが期待しているようなことばかりを口にすることもあるでしょう。顔色を窺ったり、嫌われたくないから保守的になったり。

 

 

 

 「無意識が悟った通り 僕は僕でしかかない」

 でも、やっぱりそれはおかしくて、結局「僕は僕でしかない」と歌っています。1番のサビの「何度だって 僕を繰り返すよ」という歌詞に共鳴していますね。

 「無意識が悟った通り」というワードチョイスは天才が成せる業。たぶん「本能的に」「生理的に」みたいなニュアンスなんじゃないでしょうか。「考えるまでもなく、僕は僕でしかない」ってことでしょう。

 

 

 「いくつになっても変われなくて」

 これも誕生日になぞらえた歌詞ですね。何歳になっても、僕は僕のままだという意味でしょう。「何度だって僕を繰り返すよ」と同じ意味と言っていいでしょう。

 

 

 

 

 

 

 

2番サビ(ポジティブに)

 

 

 

It's my birthday

飲み込んだ幾つもの怒りを

ひとつひとつ吹き消しながら

風に乗って希望へひとっ飛び

やがて素敵な思い出に変わるよ

そう いつだって It's my birthday

 

 

 

 

 「飲み込んだ幾つもの怒りを ひとつひとつ吹き消しながら」

 こちらも、ロウソクの火に喩えています。1番では、「消えない炎」を歌っていましたが、2番では「吹き消しながら」と歌っています。「期待された答え」ばかりを吐き散らして溜まった鬱憤、ストレス、怒り…そんなものは歯牙にもかけずに吹き消してやろう!という歌詞です。

 

 

 「風に乗って希望へひとっ飛び やがて素敵な思い出に変わるよ」

 吹き消して、そのままの風に乗ってポジティブに生きてやろうという意味でしょうか。今は耐えがたい怒りだけれど、時が経てばそれも「素敵な思い出」に変わると思うよ、と歌っています。俺だったら「思い出に変わんじゃない?」って歌ってしまいそう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大サビ(毎日が誰かのbirthday)

 

 

 

 

It's your birthday

毎日が誰かのbirthday

ひとりひとり その命を

讃えながら今日を祝いたい

そして君と 一緒に歌おう

いつだって そう

It's my birthday

消えない小さな炎を

ひとつひとつ増やしながら

心の火をそっと震わせて

何度だって 僕を繰り返すよ

そう いつだって It's my birthday

そう いつだって It's your birthday

 

 

 

 

 

 最後です。

 

 「It's your birthday」

 これまで「自分自身」のことを歌ってきましたが、ここで自分以外の全員のことを歌い始めます。

 

 「毎日が誰かのbirthday」

 毎日、世界中の誰かしらが誕生日を迎えていますね。この歌詞はそういう意味もあります。が、ここまで歌ってきたように、「誰しも「今」という一瞬一瞬のうちに生まれ変わりながら、自分という唯一無二の存在を繰り返して生きている」という意味も含まれていると考えます。

 

 

 「ひとりひとり その命を 讃えながら今日を祝いたい」

 ここは、ドラえもんの映画にもなぞらえているのかなと感じました。のび太が拾った恐竜は翼がなくて絶滅から逃れられない…みたいなストーリーらしく…。でも生まれてきたその命を讃えて生かしてあげたい!と言う…そんな意味?映画のタイアップ曲なので、映画を見るともっと深く意味がくみ取れそうですね。

 

 

 「そして君と一緒に歌おう」

 生きる喜び、自分自身、それらを共に噛みしめようとする歌詞です。

 

 

 

 そうしてまた、サビを歌っていきます……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

最後に

 

 

 いかかでしたでしょうか。

 一瞬一瞬のうちに生まれ変わる自分自身という唯一無二の存在。それに誇りを持って、共に生きていこうというメッセージを、誕生日や誕生ケーキのロウソクに喩えて歌っている名曲でした。

 

 

 

 ミスチルは年を取ってもセンスが枯れないのがすごいですね。

 

 

 

 

 

 

 ということで、Mr.Childrenで、『Birthday』でした。

 

 

 

『BLEACH』千年血戦篇アニメ化&『BURN THE WITCH』シリーズ連載化&中編アニメ化決定

 

 きたああああああああああああああああああ!!!!って感じ。いよいよ。

 

 

 

 前々から噂されていたことではあったし、俺も容易に予想できていたことではあるが、遂に『BLEACH』千年血戦篇のアニメ化が決まった。そして、まさか『BURN THE WITCH』の連載とアニメ化も同時に発表されたのだ。

 

 そもそもなぜこのタイミングで発表されたのか。

 今年は、『BLEACH』が連載開始してから丁度20年目の節目の年だからである。2001年から数えて、2020年で20年目というわけ。

 元々半年くらい前から、『BLEACH20周年プロジェクト始動』の発表があり、何が発表されるのだろうと予想がされていた。かつて『BLEACH』のアニメでキャラクターの声を務めた声優陣も一部参加するということで、千年血戦篇がアニメ化するのでは?というのはファンの間で囁かれていた。また、このプロジェクト始動が発表された時点で、既に「久保帯人新作発表」があるということは明言されていたため、『BURN THE WITCH』が連載化するのではないかということも噂されていた。

 

 

 ただ、『BURN THE WITCH』のアニメ化は予想外だった。俺の知る限り、連載化とアニメ化が同時に発表されたのは史上初めてのことだ。なんでも、師匠と担当編集とアニメの監督の間で、原稿とアニメーションが同時進行で進められていたらしい。つまり、『BURN THE WITCH』はアニメ用に連載される漫画と言っても過言ではないのだ。

 

 既にアニメ映像が一部公開されている。

 


BURN THE WITCH | Official Trailer

 

 

 『BURN THE WITCH』とはどういう作品なのか、少し所感を書いておこう。

 元々1年くらい前に、読み切りで一度ジャンプに掲載されたことがあるこの作品。『BLEACH』の連載終了から2,3年後の掲載ということもあり注目を浴び、当然話題になった。

 俺自身も読んだが、師匠の世界観バリバリの神作品であった。何より、『BLEACH』の世界線と繋がっていることが明らかになったり、『BURN THE WITCH』というタイトルの中に『BLEACH』の文字が隠されていたりと、師匠大好き伏線も豊富に詰め込まれている作品となっていた。

 

 

 『BLEACH』が死神の物語であったように、『BURN THE WITCH』は魔女の物語。人を害する存在が、『BLEACH』では虚(ホロウ)であったのに対し、『BURN THE WITCH』ではドラゴンとなっている。また、尸魂界に対応してリバースロンドンという世界が存在したりと、『BLEACH』の世界設定を踏襲している部分がいくつか見受けられる。

 

 主人公は、女性。しかもダブル主人公。

 本業がアイドルのニニー・スパンコール。これまた師匠お得意の、非常に響きが良くて憶えやすい名前になっている。

 もう一人は、本業が高校生の新橋のえる。黒髪であることから、恐らく日本人という設定になっているのだろうか。

 ヤンチャなニニーと冷静沈着なのえるの二人が主人公の今作品。間違いなくヒットすると言える。ちなみに俺は今のところニニーちゃん派だ。

 

 

 

 

 連載開始は今年の夏。中編アニメ化は今年の秋と予告されている。永らくジャンプから離れていたが、また再び読み始めることになりそうだ。

 あとこれは余談だが、『BURN THE WITCH』の連載が始まることで、尾田栄一郎岸本斉史久保帯人の伝説の三人が再び同じ時期に連載をもつ状態が生まれるということになる。俺にとってジャンプの三看板と言えばこの三人だ。まさかここにきてこの三人が揃い踏みになるとは思ってもいなかった。本当に楽しみで仕方がない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして、千年血戦篇のアニメ化が決まった。

 ぶっちゃけ、みんなこれが一番嬉しいと思う。

 

 知らない人のために簡単に説明しておこう。千年血戦篇とは、『BLEACH』の最終章のことを指す。『BLEACH』は、この千年血戦篇をもって物語に幕を閉じることになったのだが、この最終章だけは今まで全く映像化されていなかったのだ。

 今回この最終章のアニメ化が決まったということで、千年血戦篇に登場する新キャラクターや、新たに明かされる秘密や卍解を、現代の神作画で見ることが出来るのだ。これに興奮しない人間はファンじゃない。

 

 花天狂骨枯松心中がアニメで見られると思うと、興奮して朝も起きられない。

 

 

 

 アニメ放送開始がいつなのかは全く明言されていないため、来年以降の可能性もあるが、ここは気長に待とう。何クールに渡って放送されるかも不明だ。俺としては、原作でおざなりになってしまった部分の補完などがあると非常に嬉しい。

 

 

 

 『ハイキュー!!』『ヒロアカ』『鬼滅の刃』『進撃の巨人』など、アニメ化が決まったことで爆発的な人気を得た作品は多い。今回の千年血戦篇を機に、『BLEACH』に興味を持ってくれる人が増えることを祈るばかりだ。 

 

 

 

 

 あとちなみに、2021年には『BLEACH』の原画展の開催も決まっている。こちらも今後の続報を楽しみにしたいところだ。

 

 

 

 

 あー、生きる希望が増えたぜ!

 

 最後にPVを貼っておきます。世界一オサレなカウントダウンから始まるよ


『BLEACH 20th ANNIVERSARY』PROJECT PV

初めてテストセンターでSPIを受けたから所感を語る。

 

 生まれて初めてSPIというやつを受けてきた。SPIは俗称で、正式には性格検査とか能力検査とか言われるんだろうか。ちなみにSPIは、スーパーパニックアイロニーの略ではない。

 

 

 今回の記事は所感を語るわけだが、俺のSPIの出来とか手応えはそんなに語るつもりはない。そこだけ了承しといてな。

 

 

 

 

 少し遡ろう。

 言うまでもなく俺は今年就活生で、就職活動をしなきゃいけないクソみたいな境遇なわけ。正直3月まで殆ど何もしてなかったんだが、3月になってから「若干」焦り始めてとりあえずエントリーシートを書き始めた。んで、1日かけて泣きながらエントリーシートをとりあえず書き終えて、とりあえずとある企業に提出。企業名は当然伏せるが、エントリーシート提出してからすぐに能力検査(SPI)受けろ的な通知がきた。

 

 

 

 だから、受けた!!!!

 

 

 

 

 

 SPIの受験方法って何種類かあるらしく、俺が今回やったのはテストセンター型。知らない人のために説明しよう。

 

 テストセンター型とは、指定された会場に行ってパソコンでさっと受けて帰る…感じのタイプ。

 家で受験したり、筆記でやったりするタイプではない。たぶん、今はテストセンター型が殆どなんじゃないだろうか。もちろん、何の根拠もない。

 

 

 今回会場で受けたのは能力検査のみ。性格検査は事前に家で受けておくように指示があったので、家のパソコンでささっと終わらせた。

 

 

 

 

 

 近くに会場があり、15時半頃に到着。まずは受付。

 正直、会場はぱっと見じゃ分かりづらいくらいしょぼかった。もっと大々的にやってるもんだと思ってたから、拍子抜けしたのは事実。ただまあ、あんまり豪勢でも緊張しちゃいそうだから別に良かった。

 

 

 受付の人たちは全員がマスクをしてた。勿論俺もマスクを着用して外出してた。コロナウイルスの影響を肌で感じたわけだが、受験者の中にはマスクをしていないヤツも結構いた。この期に及んでマスクをしないヤツの気が知れないが、それはまた別の話。

 

 

 受付を済ませた後、筆記用具を含む全ての荷物はロッカーへ。パソコンを使っての受験となるため、筆記用具は必要ないのだ。

 

 

 

 

 扉を潜ると、そこが試験会場だった。一目見ての感想を述べるなら、「自習室?」だ。

 中学生の頃に通っていた塾の自習室そっくりだった。学校のコンピュータ室の床みたいな固くて青いカーペットが敷かれており、パソコンが並べられていた。パソコンとパソコンの間は木製の仕切りで隔てられていた。これだ、こいつが自習室感の本丸だ。

 

 そして何より、部屋が狭かった。8畳~10畳くらいだっただろうか。デスクとパソコンがところ狭しと並べられていたこともあって、余計に狭く感じられた。既に何人か受験生が座っていて、皆パソコンに釘付けだった。

 

 

 

 受付で説明を受けたようにログインすると、すぐに試験が始まる。とは言っても、特に緊張もせず、リラックスして問題を解き始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 さて、ここから所感を語っていこう。

 

 まず、もの凄く大雑把に問題の種類を分けると、国語と数学だった。前半が国語、後半が数学だ。

 国語は語彙の意味を問う問題や、文章理解の問題が多く、数学は割合・確率・判断推理みたいな問題が多かった。

 

 公務員試験の勉強をかじっていた俺から言わせてもらうと、数学の問題は、数的処理の問題に似ているように思えた。とは言っても、俺は公務員試験の勉強を真面目にやってないので、有利だなと感じることもなかった。

 

 

 

 

 問題の内容に関して。

 あの時は普通に解いていたが、今思えばあれは就職活動のための受験なのだ。つまり、内定を得るための受験。だから、このSPIの問題が就活に直結するかを考えなければいけない。

 

 結論から言うと、SPIの問題内容と就活及びお仕事はほとんど直結しない、と俺は考える。というのも、問題自体は別に中学生でも解けるような問題が多いからだ。むしろ、現役の中高生の方が正答率は上がるだろう。つまり、高校を卒業して時間が経っている就活生にとっては、意外と解けない問題が多いということ。

 

 だから就活生はSPIの勉強をするわけだが。

 

 本当のことを言うと、俺はSPIの勉強を殆どしないで本番に挑んだ。家を出る前にテストセンターのマイページで練習問題を3,4問見たくらいで、後は何もしていない。この練習問題というのも、問題の形式をとりあえず見ておくために触れただけで、勉強をしたつもりはない。

 

 

 なんでかって、SPI自体に意味を感じないからだ。先ほども言ったように、SPIの問題の殆どは、就活生よりも中高生が得意とする問題だ。俺は一度そういう問題を乗り越えて高校大学に入学出来たわけだから、今になって思い出すように勉強をし出したら、たぶん正答率は跳ね上がるだろう。だが、それをしなかった。

 

 

「違うよ。内定を獲るためにSPIの勉強をするんだよ」

 

 

 ふむ、全くの正論だと思う。結局、SPIの問題が就職活動及び就職後の業務に直接役に立つかは関係なく、企業が求めているある程度の正答率を出してデータを得るためにSPIの勉強をするのが普通だ。

 

 なんで勉強するかって、絶対に内定が欲しいからだろう。

 

 

 だが俺は別に、絶対に内定が欲しいわけでもない。というと語弊がある。内定がもらえなければ生きていけなくなるから仕方なく就活をしているだけで、絶対にこの企業・業界がいい!ってのはない(絶対にここは嫌だ!っていうのは腐るほどあるが)。

 

 

 だから、SPIにかける思いも薄いのだろう。

 第一、SPIの点数如きで落とされるような企業であれば、そもそも俺の能力や性格や考えに合っていないことは自明だ。SPIを重視するような企業があるのかどうかは知らないが。

 

 

 

 「じゃあなんでSPI受けたの?」

 

 

 それはあくまで、選考への参加権を得るためだ。点数以前に、そもそもSPIを受験したという事実とデータがなければ、選考に参加すら出来ない企業が殆どだ。だから受けた。

 勿論、本番は普通にちゃんとやった。少なくとも正解だと思うものを選んだし、試験時間中は集中もしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 SPIは時間に追われるという話は聞いていたから、時間は意識していた。と言っても、時間配分を意識していたというより、時間内に全ての問題に触れるように意識していた感じだ。どんな問題が出るかも分からない以上、配分なんて出来るはずもないからな。

 

 

 だから、国語の問題は颯爽と片付けた。時間をかけて考えたい問題もあったのだが、最初に正解だと思った答えを疑わずに次にすすんだ。数学に関しては、計算すれば出来そうな問題は多少時間をかけて計算したが、端数を除いて計算したり、0の数を度外視して頭の2,3桁で答えを模索したりと、だいぶ手を抜いた(というと語弊があるが、手早くやったのは事実)。

 

 

 

 そのせいで、かなりの時間を残したまま試験を終えることになった。一度回答を終えた問題を見直したりすることはシステム上できないため、最後の問題を解き終えた瞬間にやることがなくなる。だから、さっさと帰った。

 

 

 試験時間は35分とされていたが、たぶん25分くらいで終わった。出来不出来については詳しく語らないが、正直あんまり問題を憶えていない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 さて、所感まとめに入る。

 

 

 まず第一に、SPIの問題内容は現役中高生の専売特許であったこと。

 それから、SPIの問題と就活及び仕事は全く以て直結しないこと。

 そして、俺にとってSPIはマジでどうでもいいということだ。

 

 

 SPIの問題内容が就活及び仕事に直結しないということだが、少し面白いと思ったことを最後に書いておこう。

 

 数学の問題に関しては、マジで何の役にも立たないと思う。少なくとも、短時間で計算させるという作業は、かえって仇となりそうだ。正直人事が何を参考にしているかも全く見当が付かない。

 だが、国語の問題に関してはそうとも言えない。語彙問題は完全に運ゲーだが、中には「この文章と同じ構造の文章を選べ」的な問題があったりした。

 

 

 この問題、仕事に直結こそしないとは思うが、いわゆる課題解決とかには関連してくるのかな、とも思った。要は、因果関係をハッキリさせるプロセスが求められるという意味では無関係とは言えないということだ。

 とは言っても、SPIの問題を解くことを目的として文章理解の勉強をしたところで、実際の課題解決の役に立つかと言われれば絶対にあり得ないだろうが。

 

 

 

 まあ、頭ごなしに「SPIは無意味だ」と言っているわけではないということを、最後に理解していただければこれ幸いと言ったところ。

 

 

 

 

 

 

 あーどう森楽しみ。

 

 

今の小学生はナルトもダークライも知らないんだぜ?

 Youtubeで動画投稿を未だに細々と続けているわけだが、実は俺の友人もYoutubeをやっている。そいつはオンラインゲームでいわゆるキッズと一緒に動画を撮ったり配信をしたりしている。

 

 俺も何回かそのゲームに参加したことがある。俺と友人と、キッズ二人という組み合わせが基本。キッズと一緒にゲームをやるということだ。このキッズとは勿論、名前も顔も知らない人たちばかり。向こうもこちらの顔も名前も知らない。知らない者同士が一緒にゲームしちゃう世の中の渦の目に俺は身を投じたわけだ。

 

 

 

 基本的には、俺の友人(以下G君とする)が行っている配信に参加しているキッズが殆どだ。ボイスチャットを繋いでプレイすることが殆どなため、生でそのやり取りも世界中に配信されている。

 

 そこで、今回はG君の配信を通して出会ったキッズ達について少し語っていきたい。

 

 

 

 

 

 

 

 そもそもキッズとは何か。キッズを定義しよう。

 いわゆる「子供」なわけだが、俺たちはオンラインゲームに参加する名前も顔も知らない子供をキッズと呼んでいる。まあ、小馬鹿にしたというか、見下したような言い回しではある。

 

 キッズは小学生が殆ど。と言っても、低学年はいない。俺が出会ったキッズは殆どが小学6年生。中1もいた。年齢で言うと12,3歳が多い。だからキッズとは言っても、物事の分別はしっかりつく年頃だ。

 

 12,3歳というのは丁度思春期を迎える年頃で、インターネットに出会う年頃でもある。俺もこのくらいの年齢(もっと前だったかも)の時にインターネットに出会い、12,3歳の頃に没頭した過去があるため、気持ちはよく分かる。俺の場合はボイスチャットで知らない人と会話するなんて画期的なことはしていなかった。時代の進歩を感じた。

 

 

 

 今は子供でもスマホを持っている時代だ。Switchは一つあればオンラインゲームが出来る。

 

 

 

 

 

 

 

 キッズとゲームをしてみてまず最初に感じたことは、どいつもこいつも頭がおかしいということだ。

 子供ってそもそもそういうもんだから仕方ないのだが、実際に一緒にゲームをしてみるとその狂い具合が窺える。

 

 基本的に自己中心的で、目立ちたがりで我が強く、空気が読めない。まあ小中学生ってそういうもんだから仕方ないのだが、正直一緒にプレイすることに何の生産性も感じない。G君は、「配信でキッズと一緒にゲームをやると数字が伸びる」という理由で割り切ってやっているみたいだが、俺には絶対に出来ない。12,3歳は一番生意気な時期。

 

 

 

 そもそもなぜキッズは名前も顔も知らない配信者と一緒にゲームをしたがるのだろう。単純な道理だ。

 自分のプレイを配信して欲しいからだ。キッズは自分で配信する術をもっていない。ゲーム配信経験者なら分かると思うが、配信は初期費用が意外とかかる。あと、親が家にいる状態が多いキッズは親の目を盗んでやらなければいけないことになるから、無理がある。他にも諸々の理由で、キッズは自分一人の力で配信をする術をもっていない。だから、他の配信者の配信に参加することで、自分の姿を世に広めようと画策しているのである。

 

 

 だから当然、全員我が強い。我こそが一番上手いんだ、我こそが配信映えするんだ、とばかりに名乗りを上げる。大人数のプレイでボイスチャットをオープンにしてしまったら最後、忽ち悲鳴に近いキッズの声がゲーム音をかき消し、耳をつんざく。

 

 

 

 これが最近のキッズの現状だ。第一、12,3歳でインターネットやオンラインゲームに没頭しているキッズは基本的にまともじゃない。もちろん、中には学生生活を謳歌しているキッズも大勢いるだろう。だが、そうでないキッズも大勢いるということだ。俺の場合は、インターネットにのめり込んでしまった典型例だ。勿論、インターネットを初めて後悔している部分もあれば、やってよかったと感じる部分もある。だが、インターネットの渦に飲まれると言うことは、相当なリスクを伴うということは知っている。

 

 オンラインゲームに参加し、配信者とゲームをプレイするキッズは、基本的にこのリスクに気付いていない。12,3歳で気付ける方がおかしい。

 具体的にどんなリスクがあるのかは今回の記事の趣旨からズレるため省く。

 

 

 

 俺は何回かG君の配信でキッズとプレイしたが、正直もう二度とやりたくはない。これは俺個人の意見だが、冗談の通じない人間や空気の読めない人間とやるゲームほど苦痛なものはない。

 

 

 

 

 以上が、オンラインゲームに参加するキッズの現状だ。

 

 

 

 

 

 

 

 ここからは余談だが、一緒にゲームをプレイしたキッズにとある質問をしたところ、衝撃の事実が発覚した。

 

 ズバリ、今の小学生と俺が小学生だった頃とでジェネレーションギャップがあるかどうかを確かめるための質問だ。

 

 

 

 

 

 

「ナルトって知ってる?」

 

 

 

 まずはこの質問。ナルトと言えば、国民的人気漫画だ。世界でも人気。

 

 キッズの答えはこうだ。

 

 

 

 

「…聞いたことはある」

 

 

 

 

 !!!!?!??!??!???

 

 

 

 

 

 衝撃だった。俺にとって、ナルトは日本中の誰もが知っている国民的人気キャラクターだ。ましてや、子供は全員ナルトに憧れているもんだと思っていた。

 

 

 

 これがジェネレーションギャップというやつだ。10年も経ってしまうと、生まれてしまう。

 確かに、今の小学生はナルトに触れ合う機会が無い。なぜなら、ナルトは今連載もしていなければ、アニメもやっていないからだ。ナルトは終わったものだ、悲しいが。よっぽど能動的なキッズでも無い限り、ナルトの詳細など知る由もないのだろう。

 

 

 

 次はこんな質問をした。

 

 

 

 

 

 

ダークライって知ってる?」

 

 

 

 皆さんご存じダークライだ。俺と同年代の人間であれば知らない人間はいない。ポケモンですね、いわゆる。

 ダイヤモンドパールに登場する伝説ポケモンで、ポケモンリーグで裏技を使うと入手することが出来たポケモン。だがこの裏技が割とシビアで、失敗するとゲーム自体がバグってしまい、店に行って直してもらわないと二度とプレイが出来なくなる。俺も一度失敗し、修理に出したことを憶えている。

 

 当時の小学生はみんなこれを経験している。というか、ほとんど全員がポケモンを経験している。ポケモンをやったことがない人間も、ダークライであれば知っていただろう。今現在は憶えていなくても、小学生当時は絶対に存在くらいは把握していたはずだ。

 

 

 キッズの回答はこうだ。

 

 

 

 

 

「知らなーい」

 

 

 

 !!!???!??!?!????!?!!!!??

 

 

 

 ポケモンに詳しいキッズはダークライを知っていたのだが、俺が最初に質問したキッズはダークライを知らなかったようだ。

 なんというか、当然と言えば当然なのだろう。ナルトを知らないのも、ダークライを知らないのも。

 

 

 

 でも、ちょっとショックである。

 それは、今のキッズがナルトやダークライを知らないことが悲しいというのもあるが、あまりに時の流れが残酷すぎることが最もショックだ。

 

 

 

 

 俺たちがおっさん呼ばわりして軽蔑していた年上の存在。俺たちは、既にそういう存在になりかけているということ。

 

 

 

 10年という月日の重さが、あまりにキツい。

 

 

 

 

 

 

 あと10年経ったら、俺はどうなるんだろうな。