日本語の歌詞
ブログの記事の更新って、ある程度定期的な方がいいのかしらと考えていたらお腹が鳴りました。
基本的にTwitterと同じような使い方しかしないので、記事一つ一つが、ツイート一つ一つと同じように輝いて見えるのが僕のブログの特長であることは今更語ることではないです。
さて、皆さんは音楽を聞くでしょう。
どんな音楽を聴くかは知りません。
僕は基本的に日本人の歌しか聞きません。
洋楽で認めているのはWe Are The Worldくらいのものです。
日本人が作る歌には、当然ながら日本語が使われます。中には日本人の分際で全編英語の歌詞で曲を作りたがるならず者もいるみたいですが、ここでは置いておきましょう。
日本語が好きです。
日本語はとても美しいですね。
だから必然的に、日本語の歌詞が好きです。
といっても、勿論ものは選びます。
音楽と一口に言っても色々あると思います。
僕は音楽に関しては眼を見張るほどのど素人なので詳しいことはわかりませんけれども。
僕は、音楽ひいては歌というものを聞くときに、基本的には歌い手の歌唱力と歌の歌詞を重要視します。
メロディとか演奏とかは実際二の次です。
ここでは歌唱力については語りませんが、それと同じくらい歌詞を見ます。
例えば一つの曲を、何も考えずに何回も聞いて、それとなく歌詞を頭に入れます。
今日で言えば、米津玄師の「馬と鹿」を、多分50回くらいリピートしていました。
たまに、「歌詞だけに注意して聞こう」と意気込む時もあります。ただこの時は、意気込みだけで終わってしまうことが多いです。
そして聞き込んだ歌詞を、自分なりに解釈します。
解釈と言っても、一字一句吟味していくのではなく、なんとなく頭の中で流してみたり、鼻唄に近い形で声に出してみたりするのです。
すると、「あれ?ここ妙に語呂がいいな…。あー、韻を踏んでるのか」とか、「ここの歌詞はこっちの方がよくね?」とか、勝手に一人で納得したり納得しなかったりできます。
これが楽しい。
歌の中には、解釈に値しないものや、一筋縄ではいかないものもあります。
そうして自分なりの解釈を、誰かに聞かせたり、こういう場所で文字に起こしたりしたいのが本音です。
実際あんまりそういうことはしないようにしてますが。
英語は何を言っているか分からないし、表現方法が一辺倒な気がしてしまって性に合いません。
日本語の歌詞は、己で勝手に解釈できる楽しさがあります。
“勝手に解釈できる”というのが重要です。
歌詞の解釈には正解不正解はありません。例えば一見ラブソングでも、解釈によっては…なんてことも多々あります。
だから例えば、ミュージシャンが音楽番組などでする「この歌は、〜〜と〜〜について歌っています。〜〜〜な人に聞いて欲しいです」みたいな前振りが好きじゃないです。
その方なりに伝えたいことがあるかどうかは、我々にとっては知ったことではありません。
解釈をするのは我々の役目であって、こういった前振りは、勝手な解釈を邪魔する先入観を生んでしまうと思います。
話が飛躍しすぎました。眠くなってきました。
とにかく、日本語の歌詞を勝手に解釈するのが好きです。
このブログでも、気になった歌の歌詞の解釈を記事にすることがあるかもしれません。
そういう時は、是非読み飛ばしてやってください。