むろくんこそが、素敵でワガママ

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「生配信のコメントの民度」と「配信者がコメントを評価する風潮」についての持論

 

 君たち、youtube等で生配信を見ることはあるかい?たぶんあるだろう。今回は、俺が生配信のコメント問題に関連した記事を書いてみちゃう。

 

 

 今回はまずはじめに、具体的にどういう観点で記事を書いていくのかをご説明しよう。

 

 俺が今回着目するのは、「コメント」に関連する問題。主に二つ。

 

 

 

①配信コメントの民度の話

②配信者がコメントを評価する風潮

 

 

 

 この二つ。①に関してはよく語られると思う。②に関してはもっと語られてもいいと思うんだけど、実際あんまり語られない印象。

 

 

 本題に入る前に。

 俺は普段そこまでめちゃくちゃ生配信を見ているわけではない。人並くらいだと思う。よく見るのは、スマブラ系のゲーム配信や大会の配信。それ以外はあんまり見ない。ただまあ、ゲーム配信とか大会の配信はコメントの質が顕著に露呈されるからわかりやすい気がしてる。

 

 

 

 

 

①配信コメントの民度の話

 

 

 まずはこれ。

 民度という言葉を借りてコメントの質が語られることが多い。俺が普段見ているスマブラの配信でも、配信中一回は「民度」という言葉を見聞きするくらい、よく語られる。

 

 そもそもコメントの民度って何?というところから入りたいのだが、これを単刀直入に説明するのは結構難しい。

 では、コメントの民度という言葉がどういう場面で使われるかを説明しよう。先ほど、配信中一回は「民度」という言葉を見聞きすると述べたが、それにはいくつか条件がある。一番わかりやすいのは、配信のコメント欄が荒れているパターン。

 

 「荒れている」というのは、配信に直接関係のないコメントであふれかえっていたり、当該配信者の発言や一部のコメントが引き金となり、不毛な論争が繰り広げられてしまう状態を呼ぶ(たぶん)。

 

 そんでもって、コメント欄が荒れている時に「コメントの民度低い」という言葉が一緒になって降り注いでくる傾向がある。

 

 

 つまり、コメント欄が荒れている時に民度が語られる。そして民度とは、コメントの荒れやすさと考えるのが無難な気がする。コメントが荒れやすければ、その配信の民度は低いとされる。まあ、モラルのレベルとか、そういう意味なんだと思う…。

 

 

 

 

 

 ちなみにこのコメントの民度は、視聴者の数が多ければ多いほど低くなる傾向がある。言うまでもなく当然の現象だ。母数が増えればアホが増えるからだ。

 

 ということは、コメントの民度は配信内容や配信者の人格などはそこまで関係ない気もしてくる。例えばスマブラの大会の配信なんて、本来は対戦を楽しむための配信であり、参加者やスタッフ、スポンサーなど大勢の人が関わっているため、配信内容自体は往々にして健全なものが多い。本来であればコメントが荒れる要素はないはずだ。(例えば選手が配信内で問題行動を起こした場合は例外ではあるが、俺の見てきた配信でそういうことはあんまなかった)

 

 だが、こういう健全な配信でもコメントが荒れることがある。つまるところ、コメントの民度は配信内容にはあんまり関係がない。よく、〇〇の配信はコメントの民度が低いと言われることがあるが、それはほとんどの場合、視聴者の数が多いことに起因していることが多い。

 

 

 

 

 最後に、そもそも「コメントの民度が低い」ことに言及したコメントそのものの民度が低いということを言っておこう。これはよく言われることだが、明らかに対立を煽るようなコメントにあえて言及してしまうコメントまたは配信者も、実は同レベルのチンカスなのだ。

 コメントの民度の低さは、配信者とリスナーの沸点の低さと同値である。

 

 

 

 

 

 

 

②配信者がコメントを評価する風潮

 

 

 俺としては、本題はこっち。タイトルだけ見てもピンとこない人がいるかもしれないので、丁寧に説明しよう。

 

 そもそも生配信は、配信主である配信者(送り手)と配信を視聴する視聴者(受け手)のゆるぎない関係性が基盤にある。ここに、視聴者からのコメントという形で、ある種受け手と送り手が逆になるような現象が合わさるのが、生配信の特徴であると思う。

 テレビとの根本的な違いだ。テレビは一方が送り手で一方が受け手という構造は基本的に変わらない(視聴者からメールやハガキを募集するようなテレビ番組であっても、リアルタイムで視聴者の声が直接テレビに届くことはほぼない)。それに比べて生配信は、リアルタイムで視聴者が配信者にコメントを送ることができる。

 

 

 つまり、配信者は送り手でもあり受け手でもあるわけで、視聴者もまた、受け手でもあり送り手でもあるのだ。要するに、配信者と視聴者は立場的には同じであるはずだ。どちらが偉いというわけでもない。配信者はモラルに反すればコメントによる制裁を受けるし、視聴者もモラルに反するコメントをすれば配信者やモデレーターの手で制裁を受ける。この持ちつ持たれつの関係の中で成り立つのが、生配信最大の特徴と言っていいだろう。

 

 

 

 しかし、最近の配信では、配信者が一番偉いと考えている奴が多い気がしてならない。

 これが顕著に現れるのが、配信者がコメントを評価するという風潮だ。

 

 

 実際にあった一例をあげよう。

 Aというスマブラ配信者は、視聴者Xさんのコメントを拾い、読み上げた。その後Aは「Xさん、そのコメント滑ってるよ」と発言。

 

 

 些細な瞬間であったが、俺は違和感を覚えた。確かにXさんのコメントは滑っていたかもしれないが、それを配信者自らがあえて取り上げて、マイナスの評価を下すというこの一連の流れはかなり不毛であるとは思わないだろうか?

 

 

 

 

 こういうパターンもある。

 Bというスマブラ配信者が、あることについて配信中に持論を展開。当然流れてくるコメントの中からYさんの「〇〇だからじゃない?」というコメントを拾い、「〇〇なわけねえじゃん、意味わからんわ」などと発言。

 

  

 これもおかしな話だ。まず、Bがある物事について持論を展開した時点で、その物事に関する視聴者の意見がコメントとして流れてくるのは当然だ。加えて、そのコメントに100パーセント配信者が賛同できるはずがないことも自明だ。それなのにBは、あえてYさんのコメントを拾い、「お前バカじゃねえの」と言わんばかりの口調と語気でコメントを一蹴。この構図、反吐が出る。

 

 

 

 

 このように、配信者が視聴者のコメントを勝手に評価する傾向が最近増えたような気がする。無論、糾弾されて当然なモラル違反のコメントに対して評価を下すのであれば何も問題はない。しかし、視聴者の一意見やモラル違反とまでは呼べないコメントをあえて取り上げて見下すような口調で評価を下すことについては、配信者が思い上がっていると言わざるを得ない。

 

 

 結局何が言いたいかって、配信者風情が調子に乗るな、ということ。配信者は別に偉くない。ゲーム配信に関して言えば、他人が作ったゲームをプレイして、他人に見てもらうことで快感を得たり収益を得たりしている以上、むしろ配信者の立場はかなり低いと言える(視聴者と配信者の立場は変わらないという前提)。

 

 当然、視聴者が偉いわけでもないから、配信者が視聴者に逆らうな、と言いたいわけでは断じてない。だが最近の配信者は、「まるで自らが神にでもなかったかのように」視聴者を評価する傾向が強い。

 

 

 

 配信者なんて、他人のコンテンツ借りてこそこそしてるだけの陰キャがほとんどなのだから、もっとしおらしく、つつましくあれ。